ハノイのタンロン皇城の中心地域(ベトナム)
ベトナム戦争では司令室だった
カメラに収めたマップを見ながら進む。ところどころに「順路」を示す看板はある。説明書きもあるのだが、ベトナム語だけのことが多いので太刀打ちできなかった。
ヨーロッパ風の建物に囲まれた広場のような所に出る。そこがかつてのベトナム王朝の宮殿「敬天殿」があったところだという。土台しか残っておらず、階段がある。その両側には龍の彫刻。通称「龍の階段」という。
王朝時代の面影を残している。手すり部分が龍の彫刻になっている。城名の通り、龍があちらこちらにいる。「昇竜」の地だけのことはある。その階段を上がると、敬天殿の跡地ににフランス統治時代のコロニアル建築の建物が建てられている。
この広場の一角に青い建物で「D67司令室」という、世界遺産ではないがベトナム戦争当時の施設がある。博物館もこのあたりにあるらしい。
D67司令室の入口は閉まっていたので諦めかけたが、ちょうど建物の方へ歩いていく人がいたので、ちょっと立ち止まって見ていたら鍵を開けていた。係の人らしいので寄っていくと、中に入れてくれた。この日一番乗りだ。
階段を下りて、ベトナム戦争時に司令室として使われたシェルター内に入れた。会議室のようなところには当時の椅子や机、電話機などの機器が展示されている。当時のこのあたりは緊張感が漂っていたのだろう。
7世紀から20世紀まで歴史を見てきた
もう少し時間があったので「後楼」という建物まで行くことにした。端門に似ていて「楼」というよりは「門」に近い建物だった。
ここも上り下り自由だったので、かなり狭く急で、頭をぶつけそうな階段を上がってみた。後楼の上部の壁には彫刻が施されていた。端門よりは高い感じがしたので、見晴台、見張り台などに使っていたのだろうか。
その先に「北門」という建物もあるのだが、ここまででも意外と時間がかかった。着いてからここまで1時間15分ほど、8時30分近かったので、そろそろホテルに戻る時間が気になって来た。急ぎ足で城内を端門方向に戻った。
フランス統治時代の建物や小さな門などをくぐり抜けて、端門に戻る前に城壁外に出る道があったので、ホーチミン廟側の表通りに出た。7世紀から現代までのベトナムの歴史が見られる遺跡だった。
タンロン城とホーチミン廟の間にも発掘中の遺跡があるという。最近のツアーを見ると、タンロン城が入っているので、だいぶ整備されてきたのかもしれない。
流しのタクシーは意外と走っていなかったのでやきもきしたが、5分ほどで拾ったタクシーの運転手にホテルの名刺をみせた。行きと同じぐらいの時間、料金だったので、ホテルの従業員のいうようなタクシーではなかった。9時5分前にホテルに滑り込んだ。
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