ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群(ロシア)

この聖堂は現存するスーズダリ最古の聖堂で、13世紀につくられた。上部は16世紀に立て直されている。
「ねぎ坊主の青は青空の青を表している」というが、雨空でちょっと残念。日差しを浴びるとたぶん、真っ白の壁とのコントラストが映えそうだ。

ラジヂェストヴェンスキー鐘楼

聖堂内には建設当時につくられた「黄金の門」という、金メッキの扉が残っている。金の板の上に描かれているのは聖書の場面だという。


800年ぐらいたって少しくすんでいるが、出来立てのときは相当豪華な光を放っていたに違いない。
「1枚だけ、メッキがはがれているところがあるのですが、巡礼者がみんな、そこを触って入ったからだといわれています」と、実際に扉として使われていた。


聖堂内は金色を多用したイコンなどで埋め尽くされている。

ねぎ坊主もそうだったが、聖堂の内部も「青」が印象的だ。ラピスラズリのような深くて鮮やかな青色と金色のコントラスト。


小さい聖堂ながら、内部の華麗さは大聖堂に引けを取らないというか、個性的な味がある。どこか、居心地のいい教会だった。正門から出たので、どうやら裏から入ったらしい。

男女の修道院は地下でつながっていた?!

次に向かったのは「スパソ・エフフィミエフ修道院」だった。赤い城壁をめぐらせており、クレムリンの土塁より、こちらの方が防御能力は高そうだ。


1352年に創設された男子の修道院。中には入らなかったが、教会が3つあるという。


壁に沿って歩き、カーメンカ川を見下ろす場所へ。対岸に「ポクロフスキー修道院」がこちらも壁で囲まれている。

ポクロフスキー修道院

「向こうは女性用の修道院で、イワン雷帝の7人の妻のうち2人が送られています。こちらの修道院との間にトンネルがあって男女が行き来していたといわれています」とガイド。
バスで近くにも行ったが、こちらも高い城壁。どちらも閉鎖的なようで、実は開放的だったようだ。


雨がどしゃ降りになってきた。バスに戻り、街中を走ると、沿道の家の窓の見事さに気づく。「裕福な商人ほど、立派な窓をつくってアピールしたようです」という。建物に古さはあまり感じないが、窓には中世の雰囲気がにじみ出ていた。

国の宗教の決め方は?

スーズダリ市街で昼食を取りながら雨上がりを待った。食事が終わったころには雨は上がっていた。ただ、10月初旬とはいえモスクワ近郊は寒い。
バスの窓越しに伝わる冷気に、薄手のセーターにジャケットでは心もとない。察した現地のガイドが「これよかったら」とダウンジャケットを差し出してくれた。
スーズダリから、次の「白亜の建物」があるウラジーミル(Владимир、Vladimir)に着いた。車窓から見る街に中世の匂いはなく、りっぱな小都市の風情。ガイドの話の通り、かつて鉄道を受け入れた街と、馬を選んだスーズダリとは発展度が違ったらしい。
「黄金の門」の横でバスを降りる。やはり寒い。ダウンを借りてよかった。名前は黄金だが、白亜のこの門は凱旋門の役割があったそうで、キエフにあった黄金の門をモデルに12世紀に作られた。かつてあった城壁の門の1つで、いまは門の周りが道路になっていて車が行きかう。

  1. この記事へのコメントはありません。