リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(ポルトガル)
西側には後ろから2番目にただひとりの女性、エンリケ王子の母が航海の無事を祈る姿で描かれている。
面白いのはモニュメント前の広場の床に描かれたモザイクの世界地図。ポルトガルが世界の国々を「発見」(到達)した年代が書かれている。
日本到達は1543年に種子島にポルトガル船が漂着して鉄砲をもたらしたと歴史で習ったが、こちらの地図には豊後(大分県)に漂着した1541年を記している。
大航海時代、先を、先を、目指していく様子がよくわかる。エンリケ航海王子が開いた大航海時代が、16世紀のジェロニモス修道院やベレンの塔が建てられたマヌエル1世の時代に最盛期を迎える。
航海に出る船乗りが最後に見る塔
さて「ベレンの塔」。そこから歩いて5分ぐらいのところにある。テージョ川に突き出すようにつくられた塔で、要塞や灯台、そして牢獄の機能があったという。
航海に乗り出す船を見送り、無事に帰ってきた船を迎える。航海者にとっても、故郷の最後の景色かもしれず、必ず戻ってくるという心の拠り所になった。
こちらもマヌエル1世によって1515年に建てられ、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓の記念だったという。
ガマの航海では約150人で出発して、帰国したのは55人だったというから、航海が命懸けだったことは確か。中でもビタミン不足による壊血病が死因の多くを占めていたという。
内部にも入れるのだが、日曜日で長い行列ができている。午後からシントラという街に行く予定があったので、外観をぐるっと眺めることにした。
ジェロニモス修道院同様のマヌエル様式で、壁面の装飾にはロープの彫刻がたくさん描かれている。
3階が王の間、2階が要塞、そして1階は水牢になっている。テージョ川の河口で潮の干満があるため、それを利用した牢獄だった。大砲が水面から少し上に設置されるように銃眼が開いており、いわゆる水平射撃が可能になっているという。
リスボンは1755年、リスボン大地震に見舞われた。マグニチュード9というから巨大地震で、15㍍の津波にも襲われ、街の9割の建物が崩壊。人口の5分の1が亡くなったという。
海に近いこのベレン地区は津波の直撃を受けたが、ジェロニモス修道院とベレンの塔は、損壊したものの生き延びた。大航海時代に大西洋に乗り出した航海者の強い意志と魂が宿っているのだろうか。
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