琉球王国のグスクおよび関連遺跡群(日本)
隣が「二の郭」。城壁の曲線が美しいらしい。中城は14世紀中ごろから建造が始まり、公式HPなどによると一、二、南、西の廓が先にできた。その後15世紀半ばにこの地を収める按司(あじ=領主)・護佐丸が三の郭、北の郭を造ったという。
「一の郭」にはいると、かなり広い。かつては正殿があったが、第2次大戦で焼失したという。その遺構の発掘調査、復元工事を行っていた。
いずれにしても、石組みの城壁の見事さがみどころのようだ。江戸時代末期に、黒船ペリー探検隊も訪れ、石造建築を絶賛したという。
霊域で遥拝所がある「南の郭」、兵馬の訓練をしていたとされる細長い「西の郭」を経て、やっと「正門」へ。本来はここから入るのだろう。
元の道を戻ることも出来るが、城壁の外側を見るため、外周道路を少し歩いた。羽や頭が青、胴体が赤のきれいな鳩のような鳥が城壁に止まっていた。
海を見下ろす丘に建つグスク
勝連城跡まで車を飛ばす。駐車場に入ると、また丘の上のお城。防衛上、仕方のないことだが、ここもけっこうな上りだ。海に面しているので海風が心地いいのが救いだ。
城壁で囲まれた4つの曲輪で構成され、斜面に段々畑のように曲輪がある。グスクによって「廓」「曲輪」と表記が違うらしい。
12~13世紀に建設され、15世紀半ばにはここを収めていた按司・阿麻和利が、先に見た中城の按司・護佐丸を滅ぼしたという。今は石積みの城壁と一部遺構しか残っていない。まず「四の曲輪」に入る。
ここから順に「三の曲輪」「二の曲輪」「一の曲輪」と登っていく。ちょっとした登山の気分。たぶん、グスクの一番上にいたと思われる按司を訪ねるのは大変だっただろう。
各曲輪から見る海が清涼剤。さまざまな儀式を行ったとされる御嶽などの遺構が各曲輪にある。このほかに城(ぐすく)では今帰仁城跡、座喜味城跡が世界遺産に登録されている。 こうした沖縄各地の按司を統一していった琉球王国でもそうだが、王国以前から政治と霊的な祭祀がいつも同居していたようだ。
2000年登録
※2019年10月31日未明に発生した火災により、首里城正殿ほか、復元されて沖縄のシンボルとなっていた多くの建物が焼失しました。悲しい出来事を乗り越えて、一日も早い復興をお祈りします。
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