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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 古代ローマ遺跡


闘技場は床?がはぎとられて地下の部屋がむき出しになっている。ここに剣闘士や猛獣らが控えていて、エレベーターで地上に上がったという。演出効果もある施設だった。


少なくとも523年まではこうした「サーカス」が続いていたとされる。その後、キリスト教徒殉教の地として残されたが、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂などの建築資材として多くの大理石が持ち去られたという。


ファサードと呼ばれる一番外側の壁も半周分ぐらいがなくなっている。後世の人には格好の「採石場」だったのだろう。


すぐ横に道路があり、車が通り抜けていく。以前はもっと近いところを走っていたようにも思えたが、こうした古代遺跡と現代の街が融合しているところがローマなのだろう。

彫刻を拝借してきた凱旋門

コロッセオのすぐ近くに「コンスタンティヌスの凱旋門」(Arco di Constantino)がある。315年に西ローマの副帝コンスタンティヌスが正帝を名乗っていたマクセンティウスを破って西ローマ皇帝になったことを記念してつくられたという。


高さ21㍍で壁面にびっしり彫刻が施してある。ただ、コンスタンティヌス帝とは関係ないものが多いのだという。これは古い建造物に使われていた彫刻を転用したからと言われている。


1960年ローマ五輪ではマラソンゴールになったので、裸足のアベベがここを駆け抜けた。世界遺産の凱旋門らしい使い方だ。地下鉄コロッセオ駅からテルミニ駅に向かい、荷物を引っ張り出した。

今も現役で使われる浴場の用途は?

古代ローマ帝国時代の世界遺産で「カラカラ浴場」(Terme di Caracalla)も知られている。1991年に行った際に一部を見た。バスツアーにはなかったので、夏の強烈な日差しの中、路線バスに乗った。
教えられたバス停で降りたが、表示が見当たらず、茶色っぽい、古そうな、崩れかけた、壁みたいなものが見え「あれか?」と思いつつ近寄ったらカラカラ浴場だったと記憶している。

1991年当時のカラカラ浴場

中に入ると、やたら柵が多くて近寄れない。遺跡の前にはいすがびっしりと置かれている。夜になるとここでオペラを上演しており、観客のための仕切りだった。
何百人も一度に入った風呂場と思わせるものは見あたらなかったのだが…。
外からしか見られなかったが、床や壁にモザイクが残り、図書館を併設するなど市民を楽しませる娯楽施設だったようだ。これも「サーカス」の1つだろうか。
西暦217年につくったカラカラ帝は万単位で罪もない人を殺したという悪名高い皇帝。それでも、1800年使われる建物を造ったのは功績なのだろうか。


ここもローマ五輪では体操会場に使われた。当時と競技内容や観客数が違うので単純に比較はできないが、2020年東京五輪(新型コロナウイルスの世界的感染拡大で2021年に延期)でもこうした日本の文化遺産を取り入れた会場づくりを工夫したかった気がする。

1980年登録

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