屋久島(日本)
安房~荒川登山口~小杉谷集落~翁杉~ウイルソン株~大王杉~縄文杉~高塚小屋~縄文杉~白谷雲水峡
見上げた先に、それはあった。開けた斜面に、思ったより灰色の巨木がそびえる。
木というよりは、岩のようなごつごつした量感、質感。樹齢約5000年、世界でもっとも長生きをしているといわれる「縄文杉」に会えた。2014年、行ってみた。
午前5時。屋久島の縄文杉への登山にはまず「屋久杉自然館」まで、宿泊した安房(あんぼう)からレンタカーで行った。ガイドと待ち合わせて、1泊2日の山歩きに出発。朝食を摂りながらバスを待ち、40分ほどで「荒川登山口」に着く。
11キロの山道が始まる
ここから、かつて林業で使われていたトロッコの線路上を歩いて約11キロの道のりが始まる。あとで分かるが、この11キロ、思った以上にタフだ。
「さあ、行きましょうか」の声で、1泊分の荷物を背負って歩き出した。寝袋やマット、着替え、弁当や軽食が入ったリュックは結構な重さだ。何が入っているのか、ネットでお願いしたガイドのリュックは倍以上ある。
歩き始めは、トロッコの線路上をひたすら歩く。鉄道なので、傾斜は緩やかな上り。下を流れる安房川に沿って線路が続いている。基本的には枕木の上を歩くのだが、間隔が足幅と微妙に違うため、合わなくなると線路の外側の土の上を歩いたりもした。
欄干のない橋を何度も渡る
咲いている花や、線路脇の岩に張り付くコケなどを教えてもらいながら黙々と歩く。「8・5キロはこういう感じの道です。残り2・5キロは山道になります」。
雨になるとトロッコ道が川になるという。梅雨の終わりの時期だったが、晴れてよかった。ところどころで渡る橋には欄干がない。疲れてよろけると落ちることもありそうだ。
1時間ほどで「小杉谷集落跡」につく。屋久杉を切り出す林業が行われていたのは1970年(昭和45年)まで。江戸時代は、米の代わりに杉を年貢として納めていた。
屋久杉になるには直径1メートル
「江戸時代は斧などで切り倒していたのですが、チェーンソーが出てきてからどんどん切り出したために山が荒れて、自然保護もあって閉山になった」という。
ガイドによると屋久島の杉のうち、直径1メートル以上が「屋久杉」、それ以下は「小杉」という。栄養分が少ないこともあって、1メートルに成長するには1000年かかるという。
小杉谷には文字通り「小杉」しか目に入らなかった。今も当時の民家の土台や、捨てられた日用品など生活の痕跡が残っている。
日本で初めて、白神山地とともに「自然遺産」に登録された屋久島のうち、登録地域は九州最高峰宮之浦岳(1936メートル)を中心とした島全体の20%ほど。多くは人が入り込めない山の中で、このあたりはまだ外側になる。
杉林の間から見える山々の森は深そうだ。ここからはトロッコ道に板が敷かれて、枕木を気にすることなく、歩きやすくなる。傾斜も緩やかだ。トロッコは今も現役で「時々、し尿やごみの運搬や、けが人を運んだりしている」という。
このあたりから、いわゆる「屋久杉」級の杉が見え始めるがほとんどは伐採された後の切り株。杉は寿命や落雷などで倒れたり、切り倒されたりした後、新たに芽を出して成長することを「更新」という。
倒れて生まれ変わる杉
切り株更新、倒木更新などがあり、その代表的な例でもある「三代杉」が道の脇にある。「倒木の初代は樹齢1200年ぐらいで倒れ、その上に育った2代目が樹齢1000年ぐらいで伐採され、その切り株の上に3代目が立っていて今350年ぐらい」。
入り組んでいて分かりづらいが、合わせて2500年以上、この場所に居続けている。
映画「もののけ姫」に出てくる「ディダラボッチ」に似た倒木や、ラパ・ヌイ(イースター島)の「モアイ」似の切り株などもあるので、けっこう飽きずに歩き続けられる。
出発して3時間半ほどで「大株歩道入口」に着いた。ここに最後のトイレがある。日帰りの登山者はもう通過している。「縄文杉に着いても人がたくさんでしょうから、我々は1泊なのでゆっくり行きましょう」。
軍手をはめる(北海道生まれの私としては、、はく、なのだが)。いきなり急な階段だ。その上は道と行っても、木の根と花崗岩の岩が露出している細い上り道や沢づたいの道が続く。今までトロッコ道だっただけに、急坂にさっそく息が切れてくる。
「翁」の意地を見る
1時間ほどで「翁杉」につく。2010年9月に突然倒れた樹齢約2000年、樹高23.7メートル、胸高幹周り12.6メートルの巨木。どこまでが本体だったか分からないが、倒れた幹部分も見える。
「前日まで立っていたのに、朝来たら倒れていた。登山道と反対側に倒れ、誰にも迷惑を掛けず、看取られずに倒れたようです」。山の神が宿るとされた杉だけのことはある。
翁杉から5分ほどで「ウイルソン株」に着く。胸高幹周り13.8メートルの巨大な切り株。樹齢3000年と推定され、18世紀末には伐採されたらしい。
巨大な切株に祠とハート
かつては「大株」と呼ばれていたが、1924年(大正3年)に調査に来た米植物学者ウイルソンが確認したことで名前がついた。このあたりから先が、世界遺産登録地域に入ってくる。
切り株の中は空洞で、入ると地面には水が流れ、小さな祠がある。誰が最初に見つけたのかは分からないが、ある場所から切り株を見上げると、ハート型に開いている。確かに。
「ここから今まで以上の急坂になります」。その前に荷物を軽くする腹ごしらえ。巨大な切り株、静かな森、鳥の鳴き声、木漏れ日・・・握り飯がうまい。
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