モスクワのクレムリンと赤の広場(ロシア)
「赤の広場」は「美しい広場」
赤の広場の赤は、共産党のイメージカラーからきていると、実はずっと思っていた。旧ソ連崩壊の際に記事を読んで恥ずかしながら分かったが、赤の広場「Красная площадьクラースナヤ・プローシシャチ」は元々は「美しい広場」という意味だという。
さて、広場には入るとすぐにポクロフスキー聖堂がそびえる。1560年にモンゴルとの戦いの勝利を記念してイワン雷帝によってつくられた。イワン雷帝に影響を与えたワシリー修道士にちなんで「聖ワシリー寺院」のほうが通りやすい。
中央の高さ46㍍の四角い伝統的な建築の塔を囲むように、ロウソクの火を表した通称「ねぎ坊主」の教会が9つ、寄り添うように建っている。赤の広場のシンボルといえる建物で、モスクワを紹介する際に欠かせない建物でもある。
ねぎ坊主のドームのさまざまな色使い、デザインが見事だ。グルッと回らないと、全部の建物は見られない。内部には入らなかったが、ロシアの聖堂だけあって、イコンで飾られた祭壇が見ものだという。
聖ワシリー寺院の前に2体の銅像が立っている。1612年にポーランド軍を打ち払ったミーニン(商人)とポジャルスキー(将軍)の銅像。
「座っているのが将軍で、肉屋だったミーニンが将軍を励ましている。労働者が軍人を支えることを表しています」とガイド。共産主義の思想にも合ったようだ。
そこから広場を見渡す。確かに広い。右手にグム百貨店、左手はクレムリンの城壁とレーニン廟、正面には赤いレンガづくりの国立歴史博物館が見渡せる。地面は石畳になっている。
グム百貨店に入った。外観の重厚さとは違って、中は明るい文字通りのデパート。3つのアーケードからなっていて、ブランドショップから露店ふうの店まで小さな店が集まっている。
1893年に建てられたが「ソ連時代はすべて国営の商店街でした。いまは高級品が多くて、観光客ばかり」とガイド。庶民には縁遠い百貨店のようだ。
大統領執務室にはまだレーニンがいる
グム百貨店を出て広場の反対側には「レーニン廟」がある。レーニンを永久保存しているところで、一般公開もされている。かつてはスターリンも安置されていた。
午後から行ったので中には入れず、ローピングされて厳重に警備された廟の入り口だけ見てきた。レーニン廟の後ろには墓地があり、ガガーリン(初の宇宙飛行士)や片山潜(日本の労働運動家)の墓もあるという。
城壁、セナトスカヤ塔をはさんで、向こう側に大統領官邸や元老院があるが「大統領の執務室には今もレーニンの霊がでてきて、カタカタと歩く音がするそうです」とガイドがうわさ話をしてくれた。
広場の北にある国立歴史博物館と道を挟んで「カザンの聖母聖堂」がある。聖堂はスターリンに破壊されたが、ソ連崩壊で宗教の自由が戻り、1996年に再建された。
赤レンガと白の漆喰、金色のドームが色鮮やかなのは、新しいからだろうか。どこかで聞いた名前だと思ったら、サンクトペテルブルグに「カザン聖堂」があった。向こうは巨大聖堂だったが、こちらはこじんまりとしている。
教会には聖母のイコンがあり、聖ワシリー寺院前の銅像の2人がここで祈りをささげてポーランド軍を打ち破ったことで、信仰を集めたという。「教会にあったイコンはピョートル大帝がサンクトペテルブルグに移してしまいました」と、いまはこちらにはないそう。大帝もその霊験にあやかりたかったようだ。
聖堂の前には重厚な歴史博物館の建物が目に付く。その間に門があるので、これが広場への正式な入口なのだろう
博物館と聖堂の間の道にあるのが、レンガづくりの「ヴァスクレセンスキー門」がある。「赤の広場で軍事パレードで戦車が通れないから一度破壊された」(ガイド)といい、1995年に再建された。
スターリン時代は、こうした歴史的建造物の受難の時代だったようだ。門をくぐると、人だかりがある。レーニンと、そのスターリンのそっくりさんが掛け合いをしている。「一緒に写真を撮って、お金を稼いでいます」とガイド。少し離れてプーチン大統領?もいた。ソ連時代には考えられない職業だろう。ここから外に出ると、マネージ広場、革命広場と続く。
夜、ライトアップがきれいだというので、もう一度、赤の広場に行ってみた。地下鉄で行ったので、革命広場駅で降り、今度はちゃんと? ヴァスクレセンスキー門から入場した。まず、カザンの聖母聖堂が暗闇に浮かび上がったようにみえる。
広場を見渡すと、グム百貨店以外はそんなにきらびやかではないが、建物の色彩を際立たせるように光が当たっている。特に聖ワシリー寺院は昼間とは違った味わいだった。
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