サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建物群(ロシア) サンクトペテルブルグ市街

イサク聖堂~ネフスキー大通り~カザン聖堂~血の上の救世主教会~マリインスキー劇場

サンクトペテルブルグ(Sankt Peterburg)は、周辺も含めて40近い構成世界遺産があり、街道や航路なども入っている。2012年、行ってみた。

その中の1つ「サンクトペテルブルグ歴史地区」はエルミタージュ美術館と宮殿前広場から東に伸びるネフスキー大通りを中心に、市街地に点在する37の建造物などが含まれている。
プーシキン像がある芸術広場を囲むようにあるロシア美術館、グランドホテル・ヨーロッパ、パッサージュ百貨店など、世界遺産の建物は街のあちこちにあるので油断できない。

芸術広場プーシキン像

ここは元々、バルト海(フィンランド湾)に注ぐネヴァ川の河口の沼地。ピョートル1世(以下大帝)は若いころにドイツの造船所で身分を隠して働くなど、欧州を見聞し、ロシアの立ち遅れを実感した。

沼地に杭を打ち、街を建設

「西ヨーロッパに開かれた窓」として建設されたこの街は、1703年に完成し、都も移した。ヨーロッパに負けない街づくりには戦争捕虜や農奴らが動員され、湿地に木の杭を打ち、石で埋めて都市の基礎を造った。
数万人が命を落とす難工事だったという。街中に大帝の像がたくさんあるが、デカブリスト広場にある「青銅の騎士像」は人気で「新婚カップルは必ずここで記念撮影をする」(ガイド)という。

騎士像の向こうに、高さ100㍍の金色のドームをもつ「イサク聖堂」がそびえている。内部には入らなかったが、モザイク画で飾られているという。
その前がイサク広場。19世紀の皇帝ニコライ1世の騎馬像が聖堂を見つめている。

台座には后と娘に似せた4人の女神像があるが、長女マリアは自分の像が父の乗る馬のお尻の下にあることが不満で、近くに建てられた自分の宮殿に寄り付かなかったという。
大帝は、街建設に当たって防衛面でも諸国に「開かれてしまった」土地だけに、要塞、砦を周辺にたくさん築いた。
その中でも最も重要だったのが、ネヴァ川を挟んでエルミタージュ美術館(冬宮)の対岸にある「ペトロパヴロフスク要塞」。出島のようにネヴァ川に突き出ている。

要塞内にある「ペトロパヴロフスク大聖堂」の鐘楼は尖塔の高さ122㍍で、時計がついているのは珍しい様式という。工事中で中に入れなかったが、ここは要塞としてよりも、政治犯の牢獄として使用されていた。また、大帝はじめロマノフ王朝歴代皇帝の霊廟にもなっている。