セビージャの大聖堂、アルカサル、インディアス図書館(スペイン)

聖堂というと、平面図を見ると細長い形が多いが、この大聖堂は正方形に近い。イスラム様式のモスクにあった中庭を「オレンジの中庭」として残して取り込んでいるためらしい。

大きさはヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ、世界で3番目の大きさを誇る。

モスク時代の名残で、ヒラルダの塔も元々は12世紀に造られたモスクのミナレット。鐘楼を継ぎ足して、その最上部にヒラルダが設置された。セビージャ大地震(1504年)、リスボン沖大地震(1755年)でも倒れなかった。

中に入れなかったアルカサルもイスラム時代の城を改築したものだそう。グラナダのアルハンブラ宮殿を手本にイスラムの職人を呼んで造らせたという。

スペインではイスラム勢力の支配から「レコンキスタ(国土回復運動)」でイスラム勢力を追い払ったのが13世紀。イスラムの芸術・文化をすべて壊して放逐するのではなく、取り込むところは取り込むという姿勢があったようだ。

大聖堂の向かいには「インディアス図書館(Archivo de Indias)」がある。建物はルネサンス様式で1572年建てられ、商品取引所として利用していた。

1784年にカルロス3世が新大陸(南北アメリカ大陸)に関する公文書をこの建物に集めることにして、図書館になった。大航海時代の文書など資料がすべてここにあるという。

コロンブスの墓、発見

30分ほど自由に散策できる時間があったので、大聖堂を近くで見ようと、路面電車が走る通りに面した大聖堂の西側にいった。壁面はきれいな彫刻を施されている。

聖人の彫刻なのだろうか、たくさんに人物像が彫り込まれていた。

ふと見ると、人が大聖堂の中に入っていく。どこの扉かは分からないが、1つ開いているようだ。試しに行ってみた。人がいたので、入れるか聞いたら、どうぞという感じで手を振ってくれたので、中に入った。

明るいところもあるが、全体的に薄暗い。まだ正規の入場時間のだいぶ前なのだろうか。ミサか何かの行事の用意をしているような感じだった。

時間的にも、立場的にも、長居は出来ないと思い、ざっと見て回った。ぜひと思っていたのが「コロンブスの墓(Sepulcro de Colon)」。入って右に行くとすぐにあった。後で調べたら「トランセプトの袖廊」という場所にある。

棺を4人の王(レオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴン各王国)が支えている像が目印。1894年にキューバから贈られたコロンブスの遺灰が納められているそうだ。

内陣まで行った。格子の扉が一部開いていて、奥の壁面には黄金でできているのだろうか、金色の祭壇が少し見えた。

貴重な品々が展示されている「聖具室」には行く時間がなかったが、そもそも開いていなかっただろう。なにしろ広いので、駆け足で前後左右上下に顔と目を動かしながら回った。

多くの礼拝の施設があるのだろうか、祭壇と思われるものがいくつもあった。

ステンドグラスも見られた。暗くて、写真として見られるのは2枚しかなかったが…。

中にいたのは20分弱だろうか、時計を見て集合時間まであと2分だったので、急いで出た。入口の人に「グラシアス」というと、笑い返された。

街の繁栄を支えたのは1本の川

大聖堂から少し歩くと、街を流れるグアダルキビール(Guadalquivir)川に出る。アラビア語で「大いなる川」の意味だという。「黄金の塔(Torre del Oro)」が建っている。

セビージャはレコンキスタ後、13世紀にはこの地方のカスティーリャ王国の主要都市として栄えた。繁栄を支えたのが大西洋にそそぐ川を利用した海運だったという。

  1. この記事へのコメントはありません。