ハットゥシャ・ヒッタイトの都(トルコ)
世界的な遺跡が多数残っているエジプトに比べて、痕跡をさほど残さずに滅んだヒッタイトの影は歴史の上では薄いが、鉄(製鉄)が世界に広まったのは、ここにいた人たちの功績なのだろう。
広大な街を想像させる礎石群
城壁にはトンネルがあり、そこを抜けると城壁の内側に入れる。トンネル内は、天井が中央に向かって細くなるように積み上げてあるのだが、今にも崩れてきそうな感じがしてちょっと怖い。
トンネルを抜けると、なだらかな丘の斜面を上から眺める感じになる。そこから下りながら遺跡の中に入る。ばらまいたような石は、かつてあった建物の礎石のらしい。
広大な街だったのは分かるが、素人目には何の建物が、どこにあったのかもよく分からない。
丘を下ると「ここに大神殿がありました」(ガイド)と、大神殿跡にでる。これも、建物があるわけではないので、想像するしかない。
大きなサイコロのような緑色の石が置いてある。街があった当時から置かれていたらしい。使い方は分からないが、祭祀に使ったものだろうか。
建物の礎石やレンガが整然と並んでいたり、無造作にゴロゴロと転がっていたり。宮殿や礼拝所などもあったというが、行った時はまだ整備されていなかったので、標識なども「立ち入り禁止」ぐらいしかなかった。今は特定されているのだろうか。
ハトゥシャの聖地ヤズルカヤ
ハットゥシャから車で15分ぐらいのところにあるのが、ヤズルカヤの遺跡。ヒッタイトを再び世に出した粘土板が発見された。トルコ語で「碑文のある岩」という意味だそうで、ヒッタイトの聖地だった。
切り立った岩山に細い通路があり、天然のトンネルをくぐったりしながら入っていくと広場のようなところに出る。
周りの岩壁には、トゥドハリヤ4世ら王や、さまざまな姿、形をしたヒッタイトの神々が彫られている。1000の神がいたというので、日本でいうと八百万(やおよろず)の神といったところか。
儀式の様子などのレリーフが刻まれている。王の門で見たとんがり帽子の人も描かれている。さすがに4000年もたつと、乾燥地帯とはいえ、かなり風化している。もう薄くなって見えなくなっているものも少なくない。
また、祭壇らしいところもある。鉄器という優秀な武器を持ったため、領土拡大の戦争が多かったらしい。必勝祈願などをしたのだろうか。
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