白川郷・五箇山の合掌造り集落(日本)
宿の方が言っていたが、商売をせずにただ普通に住んでいる家もあり、観光客が勝手に入ってくるケースなどトラブルもあるという。集落内は禁煙なのは当然か。マナーは守りたい。
また、茅葺の葺き替えなども大変で、離れていく人もいて、空き家になっているものもある。逆にそうした家に移り住んでくる人もいるという。「いまも1つ、空き家があるそうなので、どうですか」と勧められた。
台風の中を白川郷へ
実はこの時、台風が迫っていることを忘れていた。相倉合掌集落で朝起きると、強風と雨。テレビでは京都・嵐山の桂川氾濫を映し出している。
宿の方が消防団などに聞いてくれたところ、富山方面への道路がすべて通行止め、名古屋方面は東海北陸自動車道だけは通れるという。白川郷を見て、富山から飛行機で、というのはあきらめて、名古屋へ出るしかないらしい。
五箇山相倉合掌集落を一望できる丘を教えてもらい、少しもやにかすんだ集落を見て白川郷へ急いだ。「いつ通行止めになるか分からないそうですよ。気をつけて」と見送られて。
自動車道では強風に押されるのをハンドルにしがみついて何とか白川郷に昼ごろについた。こちらは、岐阜県白川村になる。
どうやら台風は先に進んで行ったらしく、雲の流れは猛烈に速いが雨はたいしたことがなくなった。たまたま入った喫茶店の方が親切で車を置かせてくれ「萩町合掌集落」へ向かった。
一番北側にある重要文化財「和田家」に行ってみた。萩町集落では最大級の合掌造りだという。確かに五箇山最大級の岩瀬家よりも大きく感じる。田んぼの中にぽつんと建っているからかもしれない。
江戸時代に名主を務め、塩硝の取引をしていたという。こちらは最後は天領だったというので、五箇山(加賀藩)はライバルだったか。
合掌造りの構造は基本的には五箇山と同じ。違いは、行ってみるとわかるのだが、五箇山は家の正面に入口がある造りがほとんどだったが、白川郷では家の横、屋根の軒下に入口がある家が多い。雪が落ちてくるので大丈夫なのだろうか。
どちらの起源が古いのかはよくわかっていないらしく、白川郷の合掌造りも江戸から明治時代にかけてのものだという。
豪雪地帯で、冬の間は家の中で養蚕をしたり、塩硝づくりをする似た境遇、生活の中で同じ形になったのだろうか。2,3階に上がると、年月を感じさせる黒光りする柱や梁がむき出し。民具や農具などの展示もしてある。
和田家を出て南に歩き、萩町集落の中に入っていく。集落には60棟の合掌造り家屋が残っており、五箇山の両集落よりも規模が大きい。
多くの合掌造りは観光利用
五箇山は谷あいにあったが、こちらはもう少し開けた土地にあるからだろうか。どちらも庄川沿いにあり、白川郷はその上流にあたる。
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