白川郷・五箇山の合掌造り集落(日本)
金沢~北陸自動車道~東海北陸自動車道~五箇山IC~菅沼~相倉~東海北陸自動車道~白川郷IC~白川郷~東海北陸自動車道~名古屋
「おもしろい家に泊まれるから行ってみな」。学生時代、能登半島を歩いているときに旅の宿で出会った人に勧められた。富山県の「越中五箇山」だという。1980年、行ってみた。
当時は国鉄の学割周遊券で北海道から出ていった。城端(じょうはな)線の終点、城端駅からバスで山にどんどん入っていった。くねくねと曲がり、バスはすれ違えないんじゃないかと思えるような山道を行く。降りたバス停が「菅沼」だった。
奇妙な(と当時思った)合掌造りの家が立ち並ぶ、のどかな田園の風景。そこから少し山を登ったところにある重要文化財の「羽馬家」にあったユースホステルに泊まった。
世界遺産登録後の2013年、近くに行く機会があったので32年ぶりに行ってみた。五箇山は南砺市になっている。今回は金沢からレンタカーで行ったが、当時建設中だった東海北陸自動車道が開通しており、もうくねくね山道ではなかった。
豪雪地帯が生んだ合掌造りの風景
「菅沼合掌集落」は当時と同じ合掌造りの家が立ち並んでいるが、田んぼが少なくなって観光地になっている。世界遺産の効果は大きいようだ。
当時は合掌造りの家と田畑しかなく、すぐ横を庄川が流れていた。32年前の写真を引っ張り出し、同じところだと思うバス停付近から見たが、今は右手に見えていた川が見えないのはなぜだろうと思った。
現在、江戸から明治にかけて建てられた9棟の合掌造りが残っているといい、飲食店やみやげ物店にもなっている。
いまでこそ「合掌造り」の家を知っている人も多いだろうが、最初に行った時は「なぜ合掌?」と思った。屋根は分厚い茅葺で、角度が急。豪雪地帯のため、雪が屋根に積もりにくい、落ちやすいように角度は急なもので60度もある。
両手を合わせて合掌する形に似ていることから合掌造り。ここに大家族が住み、蚕を飼ったり、生活の糧でもある加賀藩に納めていた塩硝(火薬の原料)づくりをしていたので、家全体が大きく、4階、5階建てになっている。
柱や梁は、クギを使わずに荒縄やネソというマンサクの木を揉みほぐしたもので縛ってとめている。こうした構造は、民俗資料を展示している村上家や岩瀬家で見学できるので、足を運んでみよう。
重要文化財の村上家と岩瀬家に行った。1980年にも見に行っていた。当主は代替わりしていたが、合掌造りや五箇山の歴史や遊びなども丁寧に教えてくれた。
この記事へのコメントはありません。