富岡製糸場と絹産業遺産群(日本)

旧宅に現在も子孫が住んでいるため、ここで話を聞いて建物の見学は最小限に抑える。1863年(文久3)に建てられた主屋は現存しているが、蚕室専用の建物だった「香月楼」「新蚕室」は移築、解体されて基壇だけが残っている。個人宅なので、あまりズカズカ踏み込まないように気をつけよう。
主屋は越屋根がついた長い建物。かつては主屋の隣にあった新蚕室につながる2階の廊下は途中まで残っていた。道路を挟んだ畑には、さまざまな種類の桑が植えられていた。

温度管理で繭の生産量を上げる

群馬県藤岡市にある「高山社跡」も養蚕技術に関わっている。こちらは創始者の高山長五郎が試行錯誤の末に「清温育」という養蚕技術を編み出した。
高山社の前身の高山組ができたのが1873年(明6)で富岡製糸所の操業開始の直後。蚕室では「暑い時は部屋を開放して温度を下げ、寒い時は火力で温度を上げる」という管理方法で収繭量を増やし、品質を向上させたという。


田島弥平の「清涼育」とは逆のように思うが、温度管理を発展させて成功したということらしい。高山社となってからも研究や教育を行い、全国に指導員を派遣して広めたという。


今の母屋は1891年(明24)に建てられたもの。養蚕技術を学ぶ分教場だった。ここでも解説員が丁寧に説明してくれるので、お願いしよう。主屋に入って驚くのは、1階の天井がスカスカで、すのこ状になっている。1階には囲炉裏がある。


2階にいくと、蚕棚や火鉢置き場などもある。2階からのぞくと真下にすのこを通して囲炉裏がある。暖かい空気が2階に上がるようになっており、基本的には寒い時に暖めることが重要だったようで「温度を25、26度に保っていた」(解説員)という。屋根には開閉式の換気口がついていた。


もう1つの登録遺産「荒船風穴」は、群馬県下仁田町の山あいの洞穴。今回は行かなかった。パンフレットによると、天然の冷気を利用して蚕種を保存し、年1回だった養蚕を複数回行えるようにしたという。
富岡製糸場で近代的な機械製糸が始まり、生産量を増やすための原料の繭の増産のために蚕の飼育技術を向上させ、生まれた卵を保存する方法を見つけ、絹と卵を海外に輸出する。一連の日本の絹産業の発展がこの4つの施設に凝縮されている。ボランティアの解説員はじめ、世界遺産に対する街の人たちの取り組みにも意気込みを感じた。

2014年登録

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