シギリヤの古代都市(スリランカ)
獅子の足の下を通る
シギリヤ・ロックは「獅子の岩」という意味だという。天女シギリヤ・レディがいるからといって、平和な場所だったわけではない。中腹のくぼみにあるシギリヤ・レディと別れ、回廊を進んでいく。
岩壁からせり出した通路からの景色がいい。下をのぞくと遺跡もみえる。しばらく行くと、小さな広場に出る。
「ライオンのテラス」という。ライオンの左右の前足をかたどった、巨大な彫像がある。
今は大きな爪が印象的な両前足しか残っていないが、かつては「ライオンの門」といって、ライオンの顔や胴体もあり、足の間をくぐって、人々は頂上にある宮殿を目指して登っていったという。
爪の大きさから見て、相当な大きさのライオンの上半身像が、登頂者ににらみをきかせていたらしい。
そのライオン像の上方を蜂が飛び回り、大きな巣が階段の近くの崖にある。「このあたりの岩のくぼみには蜂の巣が多いんです。刺されないように注意してください」。今、にらみを利かせているのは大きな蜂のようだ。
防虫スプレーは効きそうもないが、一応持って行った方がいい。こちらではデング熱という蚊を媒介とする伝染病がある。2014年に東京の代々木公園一帯で発生したので、聞いたことがある方も多いだろう。用心にこしたことはない。日中もなるべく肌は出さない方がいい。
岩に刻まれた階段
ライオンの両足の間を抜けていくと、また鉄パイプなどで組まれた通路と階段。今度も岩壁にへばりついている。
1人が通れる幅で狭いところは幅30センチぐらい。2本の階段通路があり、上下への一方通行になっている。
白い制服を着た社会見学の小学生らがガンガン登っていくが、やはりサビがちょっと気になる。団体客が遠ざかってから、蜂に注意しながら登り始めた。
壁面を見ると、段々に削られた跡がある。ガイドに聞くと「これが昔の階段です」という。
垂直に近い壁を小さな段差を足がかりに登っていたとすれば、縄など手掛かりがあったにしても転落事故は数知れなかっただろう。
頂上にある宮殿には物資をたえず運んでいたはずで、運び上げる人の苦労は大変だったと思える。敵にとっても、味方にとっても、この岩は「難攻不落」といったところか。
473年、シンハラ王朝のカッサパ王子が謀反で父ダートセーナ王を監禁後殺害、弟のマガラーナ王子はインドへ逃亡した。
王位に就いたカッサパ王は都があったアヌラーダプラを離れ、このシギリヤ・ロックの頂上に宮殿を移し、ふもとに街をつくった。弟の反撃を恐れたためと言われる。
495年、マガラーナ王子が軍を進めてくると、大した抵抗もせずにカッサパ王は自害。シギリヤの宮殿も放棄されたという。この岩にまつわる伝説だ。
岩全体に水をためる
なるべく下を見ないように階段を登っていくと、宮殿の遺構が目の前に現れる。遠目に見えていたとおり、頂上は緩やかな傾斜はあるが、ほぼ平坦といっていい。
その斜面に沿って、レンガを積み上げた壁が作られて、かつてはそれぞれが建物だったことをうかがわせる。また、ガイドが「プール」という貯水池もあり「雨水をためていたようです」という。
ふもとには水の庭園が整備されていた。このあたりは雨季と乾季があるそうで、岩の上にも下にも水を貯める工夫がしてある。
岩全体にも水を集める「樋」のような溝が削られているという。さっき見た昔の階段も、そうした役割があったのだろう。
言い伝えでは、ダートセーナ王はカッサパ王子(当時)から財宝の在処を聞かれて貯水池を示したところ、怒らせて殺害されたというが、このあたりでは水が宝物だったに違いない。
玉座の座り心地
頂上の遺跡の一角に「これが王の椅子です」という、石でできた意外と粗末な玉座? があった。
足元に広がる広場で「ダンスなどをさせて、見物していた」という。2人で悠々座れるが、座り心地はよくない。
座布団でも敷いたのだろうが、王位簒奪(さんだつ)の経緯から、カッサパ王としても座り心地はいいものではなかっただろう。
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