古代都市テオティワカン(メキシコ)
メキシコシティ~太陽のピラミッド~月のピラミッド~ケツァルコアトル神殿~ケツァルパパトル神殿~ジャガー神殿
「ウノ、ドス、トレ~ス」という声で、車の前方を見ると、巨大なピラミッドが目に飛び込んできた。
メキシコシティーから車で・・・渋滞があるので、正確な時間は不明だが、2時間ほど北上し、高速道路の「ピラミデ」(Pirámide)出口の手前、緩やかに上って、前が開けたところで、案内してくれたホームステイ先のマリオ、カルメンのカスティーヨ夫妻が、大声で知らせてくれた。
メキシコといえばアステカ文明だが、そのアステカ人たちが13世紀ごろに見つけたときは廃虚だったという。それでも、壮大な建築物の数々に、神が造ったに違いないとして「テオティワカン(神々の都)」(Teotihuacan)と名づけた。2007年、行ってみた。
「神々の都」テオティワカン
紀元前2世紀~7世紀中ごろまで栄えていたというテオティワカンは、遺跡の総称になっている。
敷地内には幅40㍍、長さ4㌔に及ぶ南北の「死者の道」と呼ばれるメーンストリートに、「ピラミデ・デ・ソル(太陽のピラミッド)」(Pirámide de sol)「ピラミデ・デ・ルナ(月のピラミッド)」(Pirámide de Luna)や、さまざまな神殿などが点在している。
もちろん、当時の人たちがつけた名前ではない。歩き始めたのは、南側の駐車場から遺跡に入って、北端にある月のピラミッドまで約2㌔のところから。
標高は2300㍍、真夏の太陽にさらされて日陰は期待できないので、水分補給は欠かせない。2つの大ピラミッドに上ってみた。
太陽のピラミッドの頂上へ
まずは「太陽のピラミッド」。死者の道を北へ向かって右手にそびえている。高さ65㍍、底辺は222㍍×225㍍。世界で3番目の大きさというから、エジプトのクフ王、カフラー王のピラミッドの次ということか。
エジプトのピラミッドはきれいな四角錐で、一般には上ることはできないが、こちらはすそ野が広いなだらかな山という感じで、頂上まで248段の階段がある。
ただ、遠めにはなだらかに見えるが、いざ階段を上り始めると意外に急こう配。下りるのが大変だと思いながら、薄い空気を精一杯吸って上った。
頂上はほぼ平坦。たくさんの人が腕時計と頭の上の太陽とを交互に見ている。
そういえば、一緒に上ったカスティーヨ夫妻も時間を気にしていた。なぜ? 夫のマリオさんは水のペットボトルを置いた。「影がないでしょう」。
8月1日、正午2、3分前ぐらいだったが、ペットボトルの周りに影がない。え? 思わず太陽を見上げた。
太陽がピラミッドの真上を通過する
このピラミッド、実は正確な南北から東に15度ほどずれていて、年2回正午に太陽が真上にくるようになっていると後から知った。
なぜなのかは諸説あるらしいが、その前後の日もほぼ真上に位置するので、上った時もちょうどその時期だったということらしい。
どこからともなく、カウントダウンが始まり、正午になった瞬間、カルメンさんが「こうするのよ」と、手の平を上に向けて両手を太陽に向けて上げた。周りの人たちもそうしている。
「太陽からパワーをもらうの」。太陽のピラミッドという名前の意味がわかった気がした。周囲を見ると、月のピラミッドや神殿を見下ろす絶景が広がる。
死者の道の先の月のピラミッド
太陽のピラミッドを下り、また死者の道に戻る。「月のピラミッド」は、死者の道を北へ進んだ突き当たり(というより、月のピラミッドから死者の道が始まっていると言った方がいいかも)に建っている。
道の周囲には石、レンガ積みの建物の跡が点在している。月のピラミッドは高さ47㍍、底辺140㍍×150㍍という。
太陽のピラミッド同様、基壇を積み重ねているが、階段の傾斜はこちらの方がさらに急。行ったときは上部の修復中で、基壇の1段目までしか上れなかったのが残念だった。
基壇の端っこに座って、全体を眺める。基壇をいくつか積み上げて最上部が平らになっている遺跡もある。もう少し基壇を積めば、立派なピラミッドになりそうだ。
実際にはもっと多くのピラミッドがあったのかもしれない。南側をみると、テオティワカン全体を一望できる。
月のピラミッドは、1㌔ほど向こうにある太陽のピラミッドより15㍍ほど高台にあるので、高さは低いが遺跡全体を見下ろしているようなロケーションだ。
頂上からだと、もっと高さを感じられたかもしれない。このピラミッドでは、主要な宗教儀式が行われていたとみられている。
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