ペルガモンと重層的な文化的景観(トルコ)


ガイドブックなどによると、アレクサンダー大王の東征でトルコもその領土になったのが、紀元前4世紀半ば。大王の死後、広大な領土が4分割され、その1つのペルガモン一帯を部下のリシマコスが支配し、その死後、部下のフィレタイロスが紀元前281年に築いたのがペルガモン王国となる。
紀元前2世紀前後に全盛期を迎え、その後ローマに併合されたという。ガイドによると、トラヤヌス神殿はローマ時代の3世紀ごろにローマ皇帝ハドリアヌスが先帝の記念碑的なものとして造ったという。なので、ペルガモンの歴史の中では新しい建物ではある。

ギリシャ文明の影響を受けた街

さて、トラヤヌス神殿が先になってしまったが、遺跡に入っていくと、頑丈そうな城壁が残っているところもあるが、当時の王宮も含めて多くは崩れて、石が転がっている。この一帯が「アクロポリス」と呼ばれているそうだ。
ギリシャの影響もうけているのだろうか。城壁のあたりには「ヘルーン」という王を祭る場所があるというが、あまりよくわからなかった。

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