古都京都の文化財(日本) 比叡山(洛北)

「角大師」の逸話

良源は元三(がんさん)大師とも呼ばれていたそうで「元三大師堂」ともいう。おみくじの発祥の地とされるそうだ。横川の範囲も結構広いらしいが、先があるのでバス停に引き返した。

弁慶も修行した?西塔

横川からバスで「西塔」へ。バス停から道を下っていくと「親鸞聖人修行の地」とある。親鸞はこのあたりにいたらしい。巡拝受付を過ぎてすぐに「にない堂」という2つの建物が見えてくる。
歩く方向の右が「法華堂」、左が「常行堂(じょうぎょうどう)」で、同じ形をしており、渡り廊下でつながっている。
弁慶がこの渡り廊下を天秤棒代わりに2つの堂を肩で担いだという伝説もあって「弁慶のにない堂」ともいわれるそう。弁慶は比叡山の僧だったとされ、乱暴だったため追い出されたというから、修行の場を担いでしまったというのも逸話としてはありか。

にない堂常行堂(左)と法華堂(右)

法華堂には普賢菩薩が祀られ、法華三昧という修行の場になっている。詳細は他に譲るが、妙法蓮華経の略というのでお経のことだろう。

にない堂法華堂

常行堂には阿弥陀如来が祀られており、念仏三昧の修行の場。念仏は仏を念じること。渡り廊下でつながっているのは、法華と念仏が一体ということを表しているのだという。

にない堂常行堂

階段を下りると、正面に「釈迦堂」。正式名称は「転法輪堂」で、西塔の中心の建物。織田信長の焼き討ち後、豊臣秀吉が大津にある園城寺(三井寺)の弥勒堂を移築して改修した。


天台建築様式の典型だというが、屋根が非常に大きく目立つ。これが特徴なのだろうか。


左手に行くと「鐘楼」があり、バスできた道路を渡って「瑠璃堂」に向かった。地図ではそう遠くないはずだったが、山の中の道を歩いていってもなかなか姿を現さない。20分ほど歩いて道を間違えたのか、引き返そうかと思ったころに、小さな堂が見えてくる。

信長の焼き討ちを免れた瑠璃堂

室町時代末期の様式だといい、信長の焼き討ちを免れた唯一の建物で重要文化財。正方形の建物で扉が閉まっていたのでよくわからないが、あまり使用されていない感じだった。

ひっそりと静まる最澄の御廟

いいものを見はしたが、瑠璃堂で時間を使ってしまった。西塔バス停に戻った時は「東塔」に行くバスが行った後。山道を1㌔超、20~30分というので歩くことにした。
それが正解だったので、よほど急いでいてバスの時間も合わせているなら別だが、西塔~東塔はどちらからにしろ、歩こう。途中にあるのが「浄土院」。天台宗を興し、最澄の御廟所になっている。比叡山内ではもっとも清浄な聖域だという。

浄土院

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