古都京都の文化財(日本) 比叡山(洛北)
左手に行くと「鐘楼」があり、バスできた道路を渡って「瑠璃堂」に向かった。地図ではそう遠くないはずだったが、山の中の道を歩いていってもなかなか姿を現さない。20分ほど歩いて道を間違えたのか、引き返そうかと思ったころに、小さな堂が見えてくる。
室町時代末期の様式だといい、信長の焼き討ちを免れた唯一の建物で重要文化財。正方形の建物で扉が閉まっていたのでよくわからないが、あまり使用されていない感じだった。
ひっそりと静まる最澄の御廟
いいものを見はしたが、瑠璃堂で時間を使ってしまった。西塔バス停に戻った時は「東塔」に行くバスが行った後。山道を1㌔超、20~30分というので歩くことにした。
それが正解だったので、よほど急いでいてバスの時間も合わせているなら別だが、西塔~東塔はどちらからにしろ、歩こう。途中にあるのが「浄土院」。天台宗を興し、最澄の御廟所になっている。比叡山内ではもっとも清浄な聖域だという。
さて、山の中やバス道などを歩いていくと巡拝受付があり、赤い建物が見える。「東塔(法華総持院)」と「阿弥陀堂」でここから東塔エリアになる。
平安時代初めに円仁が創建し、焼失後、良源が平安時代半ばに再興。信長の焼き討ちで再び焼失し、昭和55年から62年にかけて再建されたので、新しい。東塔には仏舎利が収められているという。
すぐ近くの高くなったところに「戒壇院」がたたずむ。重要文化財の建物で天台宗の僧侶が戒律を授かる道場とし重要な建物で828年創建という。信長焼き討ちで焼失したのかどうかは書かれていなかったが、残ったのは瑠璃堂だけだったはずなので、これも再建されたか、移築されたかだろう。
比叡山の中心へ、歩く、歩く
目指すは国宝「根本中堂」。このエリア、意外と広いので時間を気にしている人は注意したい。次に目立つ建物が「大講堂」。昭和31年に焼失後、坂本にあった讃仏堂を移築したものだという。
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