古都京都の文化財(日本) 比叡山(洛北)

さて、山の中やバス道などを歩いていくと巡拝受付があり、赤い建物が見える。「東塔(法華総持院)」と「阿弥陀堂」でここから東塔エリアになる。

阿弥陀堂

平安時代初めに円仁が創建し、焼失後、良源が平安時代半ばに再興。信長の焼き討ちで再び焼失し、昭和55年から62年にかけて再建されたので、新しい。東塔には仏舎利が収められているという。

東塔

すぐ近くの高くなったところに「戒壇院」がたたずむ。重要文化財の建物で天台宗の僧侶が戒律を授かる道場とし重要な建物で828年創建という。信長焼き討ちで焼失したのかどうかは書かれていなかったが、残ったのは瑠璃堂だけだったはずなので、これも再建されたか、移築されたかだろう。

戒壇院

比叡山の中心へ、歩く、歩く

目指すは国宝「根本中堂」。このエリア、意外と広いので時間を気にしている人は注意したい。次に目立つ建物が「大講堂」。昭和31年に焼失後、坂本にあった讃仏堂を移築したものだという。

大講堂

開運の鐘がある「鐘楼」、最澄作の三面大黒天(出世大黒天)を祀る「大黒堂」などに立ち寄りながら、「萬拝堂」の隣にある休憩所で一服。けっこう歩いてきた。いよいよ、根本中堂に向かう。木々の間から屋根が見える。


中に入ったが、残念ながら門の先からのぞくだけで、そこからの撮影も禁止。最澄自らが削った薬師如来像が本尊という延暦寺第一の総本堂だけのことはあって厳格なのだろう。


もちろん、信長の焼き討ちで焼失したが、残っている建物は江戸幕府3代将軍徳川家光の命で再建されたそうで、1642年に完成し、改修を重ねてきている。2016年から大改修が始まっており、振込用紙が付いたパンフレットをもらった。江戸時代の絵が描かれていたので、建物の雰囲気がわかる。

根本中堂で朱印をもらった。「醫王殿」とあった。説明書によると根本中堂の本尊は薬師瑠璃光如来で医者の王様。その殿堂ということで記してあるのだという。

根本中堂の前にあるのが「文殊楼」。延暦寺の総門の役割を果たしている。楼上には文殊菩薩が祀られているという。

文殊楼

東塔にある延暦寺バスターミナルへ。そのすぐ近くに「国宝殿」があるので、寄って行こう。
延暦寺には根本中堂のほか最澄の真筆など63点の国宝・重要文化財がある。ちなみに、国宝殿の名称は国宝だけが収められているからではなく「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という最澄の言葉から来ている。
ケーブル延暦寺駅へはバスで1~2分、歩いてもそう遠くないが、時間に合わせてバスに乗った。昭和2年開業、日本一長いケーブルカーに乗る。琵琶湖の景色を堪能しながら、琵琶湖側の比叡山の麓、ケーブル坂本駅へは10分ちょっとで降りられる。午後4時を回っていた。

ケーブルカーから見る琵琶湖

1994年登録

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