メキシコシティ歴史地区とソチ・ミルコ(メキシコ)

ソカロ広場~カテドラル~テンプル・マヨール~王宮前広場~ソチミルコ

ビール小瓶1本で頭の奥がジーンを重い。飛行機での長旅の疲れもあるだろうが、たぶん海抜2300㍍の「高山病」なのだろう。人口2000万人を超える世界最大級の都市、メキシコシティ(Ciudad de México)に2007年、行ってみた。
最初の夜は、どこかすっきりしない気分だったので、ホテルのバーでお勧めのビールとテキーラを飲んで寝た。高山病にはよくないことではあるらしいが。

神殿の上に造られた世界最大級の都市

市の中心ソカロ地区に、翌日からホームステイしたカスティーヨ夫妻に連れて行ってもらった。
ソカロ広場(Zocalo、中央広場)には、カテドラル・メトロポリターナ(大聖堂)や大統領府にもなっている国立宮殿がそびえている。中でもカテドラルは威容を誇る。


メキシコシティはかつて栄えたアステカ王国の首都テノチティトラン(Tenochtitlan)を、16世紀はじめに征服したスペイン人コルテスが破壊し、その上に新しい都市としてつくられた。
テノチティトランは、ここにあったテスココ湖という湖の島に築かれていたという。このカテドラルは首都を破壊したコルテスがつくらせた。1563年に建設が始まって約250年かかって完成したという。確かに、壁面を飾る彫刻などは見事だが、宗教の犠牲の上に出来上がった建物でもある。


カテドラル周辺では足元に注意したい。地面に透明の板がはめ込まれており、のぞくと遺跡がみえる。アステカの都の跡が地中にある。
近くには石を積み上げた建物の跡がある。1979年に電気工事中に発見されたというアステカ時代の中央神殿跡「テンプル・マヨール」(Templo Mayor)だ。

テンプル・マヨール

カテドラルと大統領府宮殿の間で見つかった。記録が残っていてもよさそうだが、当時のスペイン人が破壊を隠していたのだろうか。
ソカロ地区は今も昔も街の中心だったようで、近代的な都市の下にいまでもアステカの都が眠っている。カテドラルの横の青空市場を通って、テンプル・マヨールに入った。

 

アステカ時代の様子を想像する

地中から発見されたというから、見つかった時は地面より低かったのだろう。基壇が残っていたということなので、今は地面よりも上に出ている石積みなどが多いのは復元されたからだろうか。まだ工事中の所も多々ある。
雨の神トラロックの像、赤い彩色が残る壁、一面にどくろが彫られた壁などが残っている(復元されている?)。

骸骨の祭壇

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