ハバナ旧市街と要塞(キューバ)

ハバナ~モロ要塞~旧市街

2015年、オバマ政権下の米国とキューバは54年ぶりに国交を回復した。しかし、2016年11月、キューバのフィデル・カストロ氏が死去した際に、トランプ次期米国大統領(当時)が「残忍な独裁者」と批判し、大統領就任後はオバマ政権のキューバ政策の見直しを行い、世界中から批判された。この人は前の政権の政策を正否の判断なしになんでもひっくり返そうとするらしい。
新聞社にいた当時、アマ野球の日本との親善試合取材などがあり、まだ政治的には対立関係にあったキューバの首都ハバナ( La Habana)に1992年、行ってみた。
マイアミを飛び立つと、キューバの島はすぐに見えてくる。それほど両国の距離は近い。降り立ったハバナ空港、当時は国際空港とはいえ、施設からいえば日本の地方空港よりこじんまりしていた。
タラップを降り、徒歩で空港ビル(といっても平屋に近い)へ。写真は撮れなかった。国交回復より先に観光には開かれたようなので、今はもっと大きくなっているだろうか。

監視役に連れられての観光

ホテルに運ばれると、ロビーで若い女性が2人、話し掛けてきた。1人はスペイン語のみ、1人は英語も話す。
体制が違う国から来た記者には車付き(ガソリン代は別)でこうした「監視役」がつくらしい。国家公務員の「コーディネーター」だが、スペイン語の女性の方が取材の担当らしく、英語の女性に取材希望を伝えるとその場で連絡を取り、ほぼその通りにしてくれた。
仕事の手際は早かったが、取材が決まると、今度はその空き時間に観光や食事などスケジュールがこちらの意思とは関係なく決められていった。自由時間はあまりなさそうだ。
というより、外国人専用なのか、ホテルは繁華街から離れた海岸にあり、車が帰ってしまうとタクシーもいないし、バスもなさそうなので籠もるしかない。ホテルの周りには街灯も少ない。あまり外を歩かれたくないのだろうかと感じた。写真を撮っていい場所とだめな場所の区別もよくわからなかった
滞在中に連れて行かれた中華料理店にはりっぱなメニューがあったが、その中で作れる料理は数種類だった。米ドルしか使えず、現地通貨に初めてお目にかかったのは、ホテルでファクス代を支払い、硬貨でおつりをもらったときだった。今はもっと便利だろうか。

カリブ海最強の要塞

野球を始め、バレーボール、陸上、柔道、ボクシングといったキューバが強かったスポーツの取材については省く。連れていかれた観光地に、世界遺産があった。
ハバナ市街の海岸道路を走り抜け、着いたのが世界遺産の4つの要塞のうち「モロ要塞」だった。フィルム時代でネガ(と言ってもわからない人がいるかも)の状態が悪く、写真画質は御容赦を。

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