メキシコ自治大学(メキシコ)

メキシコシティ市街~メキシコ自治大~国立人類学博物館

ホームステイ先のカルメン・カスティージョさんに「今日はちょっと歩きに行くわよ」といわれた。「途中で見せたいものがある」「どこ?」と聞いたら「大学」だという。車に乗ってメキシコで当時最新の世界遺産に2007年、行ってみた。

大学の建物の壁に巨大壁画

シウダ・ウニベルシタリア(Ciudad Universitaria, 大学都市)の駐車場に車を入れて「あれ」と指差されたのは、建物に描かれた巨大な壁画だった。

世界遺産登録直後でまだ知らなかったので、なんだろうと思ったら「あれが世界遺産になった」という。その時は壁画の重要性にピンと来ていなかったので、1枚写真を撮ってきた。

あとで調べたら、メキシコ自治大学の中央キャンパスにある中央図書館の壁画で、世界最大。モチーフはアステカ人と進入してきたスペイン人だという。

この大学、1551年に創立されたアメリカで2番目に古く、最大級の規模を誇る。自治権を持ち、外部の干渉を受けない自由と独立の学府だという。大学都市として、キャンパス内や付帯施設が世界遺産になった。60人以上の建築家や技術士が統一性を持って作ったということが登録理由になっていた。

日本サッカー界快挙の会場

その付帯施設として、すぐ隣にあるオリンピックスタジアム(エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ、Estadio Olímpico Universitario)が気になった。

1968年のメキシコシティ五輪のメーンスタジアムで、当時は「アステカスタジアム」と呼ばれていたと記憶している。ここで、日本のサッカーが五輪で唯一のメダル、銅メダルを獲得した。1986年にはメキシコW杯のメーン会場でもあった。

残念ながら、中には入れなかったが、駐車場から「銅メダル」の舞台を眺めた。1968年メキシコ五輪3位決定戦では地元メキシコと対戦、杉山のセンタリングを釜本が胸でトラップして決めたゴールが目に浮かんできた。敗れたメキシコの観客も祝福してくれたシーンが印象に残っている。

東京オリンピックでサッカーがメダルを取れば、53年ぶりになる。

この日のメーンは「歩く」だった。国立人類学博物館へ向かった。メキシコの世界遺産の遺跡をはじめ、メソアメリカ(中央アメリカ)で出土した品々が収められている。メキシコ自治大とは離れるが、世界遺産の宝庫でもあるので、ぜひ紹介したい。

ガイコツ祭の起源は相当古そう

全部見て歩くには2~3日かかるそうだ。約4時間で「一通り見ましょう」ということで、かなりの運動量になった。時代、文明ごとに分けられている。一応、テオティワカン、アステカ、マヤのあたりは詳しく見ることにした。

マヤのあたりでは、世界遺産パレンケ遺跡から発掘された「パカル王の遺体とヒスイのマスク」が復元された石棺とともに展示されている。

パレンケ遺跡の碑文の神殿ピラミッドで発見された墓で、メソアメリカのピラミッドは王の墓という説が濃くなった。

アステカの展示場には、先に紹介した市街中心部ソカロ広場の「テンプル・マヨール」から出土した「太陽の石(アステカカレンダー)」も。ちなみに「月の石」はテンプル・マヨールに隣接している博物館にある。

「太陽の石」(奥)

テオティワカンの時代(紀元前2世紀~7世紀中ごろ)の遺物の中に「太陽のレリーフ」があったが、真ん中の顔はどうみても骸骨だ。骸骨=太陽なのだろうか。

メキシコでは「死者の日」(10月31日~11月2日)があり、骸骨を飾って先祖を迎える祭りでもある。「ガイコツ祭」とも呼ばれている。詳しくは他に譲るが、映画「リメンバー・ミー」を見るといいかもしれない。骸骨をモチーフにしたユニークなお土産も多い。カスティーヨ家から1ついただいてきた。

不気味なものではなく、陽気な親しみやすさをもっているよう。すでにテオティワカンの時代から、骸骨=祖先を敬う風習があった。

もちろん、メキシコ自治大の壁画にも骸骨が描かれている。

2007年登録

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