ハバナ旧市街と要塞(キューバ)
ハバナは、公用語のスペイン語では「ラ・アバナ」。16世紀初頭にスペイン人が移り住んだのが始まりだという。
16世紀から17世紀にかけて外敵の侵入を防ぐためにハバナ湾の入り口を守っていたのが「カリブ最強」といわれたモロ要塞と対岸のプンタ要塞(他にフエルサ、カバーニャ要塞)。モロ要塞は保存状態がいいそうだ。
当時のものかはわからないが、赤茶色にさびた大砲が湾に向けて備え付けられている。要塞内部に入ると、銃眼のような穴があり、青い海がのぞく。
対岸にハバナ市街が広がり、空もどこまでも青く澄んでいる。社会主義国家ながら、さすが「カリブの真珠」と呼ばれる街だ。
時折「写真、撮りましたか」と聞かれる。ここは撮るところらしい。スポーツ取材の時も「ここは撮ってください」などと言われた。ただ、要塞についての詳しい説明はほとんどしてくれない。
タイムスリップした旧市街
ハバナ旧市街に戻る。17~18世紀ごろの建物がその当時のまま残されている。スペイン・コロニアル(植民地)様式といい、光を取り入れる白い壁、瓦屋根、中庭が特徴という。
旧市街には独立戦争やキューバ革命でも残り、いまも使っている建物がほとんどだった。石造りの建物群の中で、目立つのが教会「カテドラル」で、その前にカテドラル広場が広がっている。
大きな教会の建物は、周りの景色にぴったり収まっているが、ちょっと違和感がある。よく見ると、聖堂前にある塔の大きさ、形が違う。左右対称につくられそうなものだが、できた時代が違うのか、役割が違うのだろうか。
そこから少し路地を入っていくと、不思議な、タイムスリップした気分になる。映画でしかみたようなことがない、1940~50年代の米国製「クラシックカー」が、普通に止めてある。
塗装が薄くなっているほか、外観上もだいぶガタはきている。「部品も自分たちで作っているんです」と、大切に使っているとそうだ。ガソリンが高いため、止めたままの車も多く、街中が自動車博物館のようで、こちらも世界遺産級だった。もう4半世紀前の話、今も街を走っているだろうか。
できたてキューバ葉巻
街を歩いていると、道端に机のようなものを出して、キューバ特産の葉巻づくりをしている光景が目に入る。おじいさんがテーブルにでかい葉をドサッと置いて、1枚1枚、丁寧に巻いていく。
つい立ち止って「葉巻」になっていくところに見入った。巻き上がると、見ているこっちにニヤリと笑いかけてきた。こんなりっぱな葉巻は吸ったことがなかったこともあって、ついその笑顔に吸い込まれるように1本買ってしまった。ドルを使わせる国家公務員の作戦は成功していた。
野球の親善試合ではフィデロ・カストロ国家評議会議長(当時)が球場に来るかもしれないといううわさが流れた。
どうしてわかるのか、球場にいた人にコーディネーターを通じて聞いてみたら「あれが飲めるから」という。小さな紙コップに砂糖たっぷりのエスプレッソ(たぶん)を無料でタンクから観客にふるまっていた。それが合図なのかもしれないと期待したが、残念ながら姿を見せなかった。最初で最後のチャンスだったのだが。
ヘミングウェイが通ったバー
夜、ホテルにこもらざるを得なかったところに、野球取材の途中で知り合った、ハバナ駐在の日本人が誘いに来てくれた。思わぬ助け舟に、連れて出してくれたのが「ボデギータ」というバー。ヘミングウェイがキューバ滞在中によく通ったバーだという。
ここで飲むのは、このバー発祥とされるラムをベースにしたモヒートだった。壁という壁はだれか分からないが、サインやイラストなど落書きでびっしり。トイレに入った時、思わず隅っこに名前を書いてきてしまった。
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