琉球王国のグスクおよび関連遺跡群(日本)

首里城~園比屋武御嶽石門~玉陵~斎場御嶽~中城城跡~勝連城跡

いまどきの大学卒業旅行はやはり海外に行くのだろうか。北海道に生まれ育った当時は、沖縄が十分「海外」だった。西表島に行こうと思い、夜行列車を乗り継ぎ、道草をしながら九州を南下、鹿児島から船に乗って1982年、初めて沖縄に行ってみた。その後、仕事で何度か行っているが、2013年にせっかくなので世界遺産に登録されたグスクなどに、行ってみた。
82年当時、首里城はまだ復元されていなかった。建物の記憶はないので、確か守礼門だけしかなかった気がする。バスで降り立ったその守礼門も、色ははげていて、琉球切手で知っていた鮮やかな赤ではなく、ちょっとがっかりした覚えがある。

1982年当時の守礼門

そして今。首里城公園の1つとして、守礼門は鮮やかな赤で復元されていた。やっと期待のものに会った気分だった。


首里城は、14世紀につくられたといい、明治まで約500年間、歴代琉球王の居城だったが、第2次大戦の沖縄戦での艦砲射撃で破壊された。

色の再現に苦労した城の復元

カラー写真はもちろん、資料などが乏しい中での復元では、赤い屋根瓦の色の再現にも相当苦労したという。住民の記憶も色が黒だったり赤だったりしたという。そういえば、31年前に見た守礼門の瓦は黒っぽかったように思う。ちなみに世界遺産登録は「城址」で、復元された建物などは登録されていない。
破壊しておいて「その跡を世界遺産に」というのもなあ、とちょっと考えさせられる。そういった遺跡も世界には多い。「城址」の残っていた城壁の一部はそのまま使われている。
守礼門を通り、緩やかに上りながら歓会門を抜けると石段になる。瑞泉門、漏刻門をくぐると日影台という日時計がある。

日影台(手前)と北殿

そこから広福門を抜けると、首里城正殿にでる。真っ赤。これが往事の姿なのだろうか。正殿前には「大龍柱」が2本立っている。上部が龍の彫り物で、お寺でいう仁王像。阿形と吽形がいる。


正殿中に入った。正確には復元されていないとのことだが、玉座など盛時はこうだったんだろうな、というのは分かる。かつての写真や、琉球王朝の行事のときの人の配置を見せるジオラマなど、世界遺産に登録された地だけに展示などには見せる要素はある。

  1. この記事へのコメントはありません。