ペトラ(ヨルダン)


下段にはコリント式の太い柱6本が彫刻された破風を載せている。ヘレニズム文化の影響を受けているというが、ギリシャの神殿のような印象だ。前1世紀~2世紀に造られたというが、正確な年代はわかってない。


「上から彫り始めたといわれています」とガイド。柱や彫刻を削り出すには相当な労力、財力、年月が必要だっただろう。豪華絢爛、といった感じではないが、ファサードに刻まれた彫刻も味がある。

ここがシークを伝ってやってきた街の入口になる。ペトラは交易の隊商に水や食料などを供給して1世紀ごろまで繁栄したという。106年にローマ帝国のトラヤヌス帝が攻めてきて、ローマ帝国の一部になった。
その後隊商路が変わったこともあって徐々に衰退し、6世紀に大地震に見舞われ、その後街が放棄されていったという。
1812年にスイスの探検家ジョン・ルイス・ブルクハルトによって欧州に存在を伝えられるまで、この街は秘密にされてきたともいわれるそうだ。見つけられた時はエル・ハズネの柱が倒れていたりしたという。

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