昌徳宮(韓国)

後苑愛蓮亭

アップダウンの多い庭園

さらに進む。また池が見えてくる。「観覧池」を囲むようにして4つの東屋が建っている。最初に出合う「観覧亭」はよく見ると全体が扇形をしている。


次に見える「尊徳亭」は面白い建物だ。六角形の建物で屋根が二重になっている。「砭愚榭」「勝在亭」と、建築様式の違う建物で、気分や用途によって居場所を変えたのだろうか。


一番奥にあるのが「玉流川一帯」。この庭園全体は自然の地形を利用した上で池や建物を配しているので、けっこうアップダウンがあり体力も必要だ。
王様は輿にでも乗るのだろうが、せっかく少しずつ登ってきたのにかなり谷を下る。帰りが大変そうだ。玉流川一体には名前のとおり川が流され、滝もつくられている。
1636年に第16代仁祖が「逍遥巖」という地面に出ている岩盤を削って曲線の溝を造り、盃を浮かべて流しながら詩をつくる「曲水宴」を始めたという。

逍遥巖

「盃が流れてくる間に詩を作れないと3杯飲まされました」とイッキの罰もあったらしい。岩に刻まれた玉流川の文字は仁祖、詩は粛宗のもの。川のほとりには5つの東屋が建つ。
「清漪亭」は六角形の屋根が藁葺きで浅い池の中に建っていた。「建物の周りは水田になっています」という。田植えはまだだった。

清漪亭

思ったとおり、帰りの上りはけっこうきつい。そしてまた下る。もったいない。「秘苑」の最後に行ったのが「演慶堂」。貴族(両班)の屋敷をモデルにして作ったそうで、門が2つあって男性用と女性用。


屋敷も男女の居住空間が別になっている。1865年頃に建てられ。秘苑内の建物は小さな東屋でも彩色されていたが、ここは貴族の建物を模しているので彩色されていない。当時、彩色できるのは宮殿関係の建物と寺だけだったという。


秘苑だけでも2時間近くかかった。相当広い昌徳宮の中でも、半分ぐらいをこの庭園が占める。日本語ガイドツアーが解散したのは、敦化門のところだった。
元に戻ったので、あらためて今度は昌徳宮を見て歩く。

迷路のような宮殿内

敦化門を入ったところ、ちょうど解散したのが「閣内(内閣?)」という額のある建物の前。ここが政治の中心と思ったが勘違いで「閣内各司」といって、王室を補佐する部門が入っている。


禁川にかかる錦川橋を再び渡ると、宮殿内に入ったことになる。さっと渡ってしまったが、あとから調べたらこの石橋は1411年にかけられた韓国で最も古い石橋なのだという。
前には「進善門」。左手に「玉堂」とあったので入ってみた。このあたりも閣内各司の一帯で「薬房」と名前が付いた内医院など、あまり大きくない建物が並び、迷路のようになっている。

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