ラパ・ヌイ国立公園(チリ)

作りかけのモアイを見ると、その手順が容易に想像できるほど、さまざまな製造途中のモアイが放置されている。今すぐにでも製作を再開できそうな感じだ。

まげを表しているという、頭に載せるプカオは「プナ・パウ」というところから切り出される赤色凝灰岩を加工している。そこにも、さっきまで作っていたかのように、無造作に作りかけのプカオの残骸が散らばっている。

モアイは歩いた

モアイは10世紀ごろから16世紀ごろまで作られたとされている。最初はアナケナビーチのホツマツア王や正座モアイのように人に近い姿で作られ、次に下半身がなくなって手をおなかに組むタイプとなった。

頭にプカオを載せるようになったのはその後で、最後はよく知っているような顔が大きく強調され、本人に似せたというより、かなりデフォルメした形で、ラノララクに放置されているモアイのような姿になったという。

移動方法にはまだ定説がない。丸太の上に寝かせて注文があったアフまで運ぶというのが一般的で、そのために木を切りすぎて島の土地が荒廃し「モアイ倒し戦争」に発展したとも言われている。

だが「モアイは歩いた」という言い伝えもあり、立てたまま運んだ可能性を探ってこれまでにさまざまな「歩行実験」も行われている。山の斜面から海岸に向けて、モアイを運んだ跡が残る「モアイの道」が、謎に包まれたまま残っている。

モアイの道が伸びている

 

島唯一の村、ハンガロア村のペンションに泊まった。タヒチから往復でパラヌイに行くのは2泊3日。飛行機便の関係らしい。

村のメーンストリートはレンガを敷き詰めた舗装道路だが、周辺の道はもちろん未舗装。風が強く、ほこりが舞い、コンタクトレンズを使っている人は涙を流しながらの日々を覚悟しておいた方がいい。

島の物価は高い

体の大きなおばさんと孫らしい3歳ぐらいのかわいい女の子にひかれてオープンテラスの食堂に。メニューはスペイン語だったが、妻が単語と身振りで食材を確認し、ローストチキンとマヒマヒの串焼きにした。

皿にたっぷりとフライドポテトがしかれ、その上に肉、魚がドーン。味付け用にケチャップや塩、タバスコなどを並べて豪華ランチ。昼、夜の食事ではメーンストリートに数軒あるレストランに入った。

どの店でもメーンは魚(マグロやマヒマヒ)、ビーフ、チキン。調理法を変えたが、3回連続して付け合わせがフライドポテトのてんこ盛りというのはちょっとあきたが…。季節によってはロブスターも食べられるという。

支払いにはドルが必要で、ほとんどが現金精算だった。隔絶された島だけに物価は安くはない。

さて、島には2つの大きな火山があるが、モアイ製造工場のラノ・ララクと反対側、南東部にあるのがラノ・カウ火山。火口はカルデラ湖になっており、トトラという葦が生えている。

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