ラパ・ヌイ国立公園(チリ)
「コンチキ号漂流記」を読んだ方は多いと思うが、著者ハイエンダール博士は南米からラパ・ヌイはじめポリネシアに文化が伝わったことを証明するためにいかだで航海した。
きっかけは南米インカ帝国の石組みと、ラパ・ヌイのアフの石組みが似ているからだったといい、こちらの説だと島民は東からやってきたことになる。
博士がモアイを立てる実験に使ったホツマツア王とされるモアイは、ビーチの小高い丘にポツンと立っている。
石材のリサイクル
ホツマツア王のモアイから少し離れたところに「アフ・ナウナウ」があり、7体(うち2体は破損)のモアイが立っている。
倒された状態で白砂に埋まっていたことで風化を免れたため、腰のあたりにはふんどしのひも? のような浮き彫りも残る。かなりシャープできれいな姿をしている。
アフの石組みには、彫刻を施したものもあり、何かに使っていたものを利用したらしい。リサイクルの発想もあったようだ。
アナケナビーチの近くに「テ・ピト・オテ・ヘヌア(地球のへそ)」という場所があり、明らかに加工したと思われる丸い石が置いてある。
ガイドは「ホツマツア王がここに置き、世界の中心としたそうです」という。こんな小さい島にいて地球というものを知っていたのだろうか。「丸い石に額を当てて願い事をしていたといわれています」というので、やってはみたが。
この近くに、アフに立てられたものとしては最も高いモアイが、うつぶせに倒されている。
最初の7人
島に最初に来た7人のモアイとされるのは、西部にある「アフ・アキビ」に立っている。島内のモアイで、海を見ているのはここだけだ。
モアイは自分の村や集落、そこに住む家族をずっと見守っているということらしいので、陸地側を向いている。海を向いているというのは、故郷を向いているということになるのだろうか。だとしたら、西を向いている。
モアイの謎について分かってきていることもある。島の北側にある火山「ラノ・ララク」(Rano Raraku)に行くと、モアイの製造過程をみることができる。
モアイ製造工場へ
モアイの切り出した山で、登山口から緩やかな斜面を上り始めて、最初に「正座するモアイ」と出合う。正座の形に彫られた足、丸顔の顔立ちは日本人か?と想像が広がる。
斜面を進むと、モアイがそこら中に放置されている製造工場に着く。ちゃんと立っているやつ(体は埋まっているが)、前に倒れそうなやつ、寝ているやつ、まだ岩に刻まれているやつ…など、300~400体があるという。
モアイは死者を供養するためにつくられたという説が有力。「すぐにはつくれないので亡くなるのを見込んで生産していたと考えられます」とガイドはいう。
斜面を登りきると、内側はカルデラ湖になっている火口。その内側斜面にも製造途中のモアイがたくさんある。
モアイはすべてこの山の凝灰岩製。比較的軟らかい火山岩で、現在想像されている作り方はまず硬い石で体の前面を彫る。その足下に大きな穴を掘り、背中を切り離してその穴に落とすようにして立てる。最後に体の背中部分を仕上げたという説だ。
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