
ラパ・ヌイ国立公園(チリ)

「アフ・アカハンガ」では、総倒れではあるが、仰向けや横倒しのものもある。「最後は面倒になって、倒しやすい方向に倒したのではないか」とガイド。アフもかなり壊れている。

かつて島内には1000体ものモアイが立っていたというが、いまはそのほとんどが倒れているのが普通の状態だ。

ただ、アフを整備して再び立たせたモアイも50体ほどある。島の北東海岸にある「アフ・トンガリキ」(Ahu Tongariki)に行った。

まず入り口の左手に1体立っている。「ひとりぼっちのモアイ」と呼ばれているが、島一番の人気者。1970年大阪万博で展示され、モアイ運搬法を明らかにするための実験にも使われたという。

1人ぼっちのモアイ
アフ・トンガリキは全長200㍍ほどで島一番の規模。高さ7、8㍍の15体のモアイは当然全部倒れていたが、日本の建設会社が経済協力の一環としてクレーン車を提供して立て直されたという。

1体1体が個性的
背が高いの、低いの、やせているの、太っているの、丸顔、面長などなど、1体1体、表情も含めてまったく違う。供養のために立てられ、亡くなった人に似せてつくったというのは本当らしい。

立ち姿の基本は、海を背にして家族が住む集落の方向を向き、顔はちょっと上に向けて、両手は下腹につけている。これがこちらの「気をつけ」の姿勢なのだろうか。

モアイはなぜつくられ、どうやってつくり、どうやって運んだのだろう。そもそも、島民はどこからきたのだろう。この島は多くのなぞに包まれている。
伝説によると昔、ヒバの国の賢者が夢の中でラパ・ヌイに旅をし、目覚めてからホツマツア王に伝えた。王は7人の息子を使者として東に送り、島を見つけた。報告を受けた王は移住を決意して島北部にあるアナケナビーチに上陸した。
アナケナビーチは、白砂の海岸にヤシの木が茂っていて、南国のリゾートふう。火山岩のごつごつした海岸線ばかりだと思っていたこの島では別世界の趣だ。

人々はどこから来たか
ヒバの国はラパ・ヌイの西方、タヒチなどがあるポリネシアの方向にあったとされる。西からやってきたということになる。
「コンチキ号漂流記」を読んだ方は多いと思うが、著者ハイエンダール博士は南米からラパ・ヌイはじめポリネシアに文化が伝わったことを証明するためにいかだで航海した。
きっかけは南米インカ帝国の石組みと、ラパ・ヌイのアフの石組みが似ているからだったといい、こちらの説だと島民は東からやってきたことになる。

博士がモアイを立てる実験に使ったホツマツア王とされるモアイは、ビーチの小高い丘にポツンと立っている。

石材のリサイクル
ホツマツア王のモアイから少し離れたところに「アフ・ナウナウ」があり、7体(うち2体は破損)のモアイが立っている。

倒された状態で白砂に埋まっていたことで風化を免れたため、腰のあたりにはふんどしのひも? のような浮き彫りも残る。かなりシャープできれいな姿をしている。

アフの石組みには、彫刻を施したものもあり、何かに使っていたものを利用したらしい。リサイクルの発想もあったようだ。

アナケナビーチの近くに「テ・ピト・オテ・ヘヌア(地球のへそ)」という場所があり、明らかに加工したと思われる丸い石が置いてある。
ガイドは「ホツマツア王がここに置き、世界の中心としたそうです」という。こんな小さい島にいて地球というものを知っていたのだろうか。「丸い石に額を当てて願い事をしていたといわれています」というので、やってはみたが。
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