四川省のジャイアントパンダ保護区(中国)

臥龍~パンダ保護研究センター

東京・上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃんに、大いに沸いた2017年。「シャンシャン」と命名され、17年暮れから公開も始まった。両親の「リンシン」と「シンシン」は2005年に「臥龍」というところで生まれている。
2008年、中国の四川大地震で、被害が大きかった地域の1つがその臥龍だった。周辺は野生のパンダが生息する数少ない地域の1つで、一帯は自然保護区として世界遺産に登録され、パンダ(大熊猫)の保護・繁殖のため、パンダ保護研究センター(中国保護大熊猫研究中心)が建てられていた。

四川大地震で大きな被害

当時の報道によると、四川大地震が起こった時、センターにあった飼育小屋32のうち、14棟が全壊、残りも大きな被害を受け、飼育員の方も亡くなった。86頭いたパンダの無事は確認されたが、ケガをしたパンダがいたという。
臥龍には2003年、行ってみた。パンダの古里の真ん中、川が流れる谷になっていて、周囲は切り立った崖や山に囲まれている。
大熊猫研究中心の入り口には、パンダの生態などについての説明板があったので、ここでちょっと勉強してから門をくぐると、パンダとの対面になった。

広場といった感じのところに、いきなりパンダがいる。たぶん、成獣だろうか。残念ながら、日本でパンダを見たことがなかったので、目に入った瞬間「あれがパンダ?」と、思ってしまった。
確かに、映像や写真などでみたのと同じ、白と黒の巨体、愛敬のある顔をしている。しかもいっぱいいる。

パンダの食事の姿勢は

ちょうど、食事の時間だった。飼育員がリヤカーに竹を積んで運んできて広場に降ろすと、遠くの方にいたパンダたちも寄ってくる。
食事の仕方は、なんともほほえましい。ラッコのように仰向けに寝そべったり、ちょこんと座ったりして、竹を前脚で持って、器用に口に運ぶ。

説明板によると、パンダの手の平には第6の指といわれる肉球があり、そこに挟むようにして竹を持つという。
主食の竹は何でもいいというわけではなく、食べる種類が決まっているそうで、施設の回りの集落ではえさになる竹を育てていた。

1日数十キロの竹を食べても腸が短いので、ほとんど消化できないでそのまま排せつされてしまう。それにしては大きく育つものではあるが、限定された食料がパンダの減っていく理由の1つにもなっている。何でも食べる人間とは違って、生きにくいようだ。

パンダ舎に掲げられた里親名

広場の周りには飼育小屋、パンダ舎が並んでいた。表札には、パンダの名前ともう1つの名前が掲げられている。里親の名前で、日本人と思われる名前もみえる。

飼育や管理などの費用を一定額負担することで、そのパンダの「親」になることができるのが里親制度。今も続いているだろうか。
センター内では、400元(約6000円=当時)で子どもパンダを抱いて写真を撮らせてくれた。これも、飼育費の財源の1つだというので妻が抱かせてもらったが、毛の手触りはとても柔らかかったという。

センターでは繁殖で大きな成果を上げていた。研究所のようなところに入ってみると、生まれて間もないパンダが飼育器の中にいた。手の平に乗るぐらいのサイズ。自力では歩けないのだろうが、それでもしっかりとパンダ色をしている。

子供パンダは愛嬌たっぷり

研究所の裏手には、子ども用の広場が広がっている。いろいろな遊具があり、そこで3、4歳ぐらいのパンダが遊んでいる。
木登りで先を争ったり、滑り台のようなものに乗ったり、時にはけんかもするなど、人間の子どもと同じようだった。

そこで暮らしていたパンダは地震後、同じ四川省の成都、雅安などの研究施設に移されていた。全体の80%が破壊されたセンターは、その後の復旧作業で少しずつパンダが戻って、現在では観光客の受け入れが始まっていると聞く。パンダたちが古里で過ごせるようになって何よりだ。

 

2006年登録

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