明治日本の産業革命遺産群(日本) 三池炭鉱万田坑、三角西港(三池エリア)
浦島屋より海側の斜め向かいに「龍驤館」というこれも洋館。明治天皇即位50周年事業で1918年(大正7)に建てられたという。
海岸に沿って歩いていくと小さな川があり「三之橋」という石橋を渡る。この川が築港の際に造られた排水路。石積みで造られている。満潮時に海水を引き込み、排水溝に側溝から下水が流れ出て、干潮時に海に排水する下水道の役目を果たしているそうだ。
三池の石炭を海外に輸出した港
橋から海の方を見ると、左右に岸壁が石積みで曲線を描いている。これがムンドルが設計した「石積埠頭」と呼ばれている明治の仕事。100年以上たった今でも頑丈そうだ。
世界遺産になっている長崎の大浦天主堂やグラバー邸などを手掛けた天草の石工集団が、石材を丹念に組み上げ、曲線を多用した港(埠頭)になっている。
当時造られた石積埠頭は、全長756メートルに及ぶ。1893年から海外への石炭の輸出港で、1908年に三池港が完成するまでは三池炭鉱の石炭積出港だった。この埠頭で積み出しが行われたのだろう。今はのんびりと釣り糸を垂れる人が、埠頭の主役になっている。
廃れたから残った明治期の港湾施設
埠頭の周りには、当時の面影を残す建物が点在する。「旧三角海運倉庫」は1887年(明治20)に建てられ、荷揚げ倉庫として使用されていたという。今はレストランになっている。
「旧高田回漕店」も明治20年代に建てられた回船問屋。荷物や乗客の世話をしていた。1999年に修復されて、往時をしのばせている。内部も見られるので、入ってみた
国道57号線に出て、少し戻ると石橋の中之橋があり、先ほどの排水路を渡り、散策マップに従ってそこから排水路に沿って上っていく。
「旧三角簡易裁判所本館」「旧三角簡易裁判所弁護士等控室」と1890年(明治23)に開庁された裁判所関連の建物が移築されている。
排水路を挟んで反対側には「旧宇土郡役所庁舎」。1902年(明治35)に建てられたもので、海技学院として船員の養成を行う場所になっている。
この記事へのコメントはありません。