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明治日本の産業革命遺産群(日本) 三池炭鉱万田坑、三角西港(三池エリア)

第二竪坑巻揚げ機室内部

重量物の昇降の際には人員用のケージを外して行ったそうで、直径45ミリのワイヤーロープで巻き揚げて行った。動力は石炭を燃料とした蒸気。ウインチを動かすエンジンが取り付けられている。

重量物用ウインチ

人員昇降用の定員25人のケージを上げ下げするのはモーターと直径36ミリのワイヤーロープ。これで約264メートル下の坑底まで約1分で下ろしていたというから、時速16キロ弱。けっこうなスピードだ。

人員用ウインチ

全体の仕組みがパンフレットにあったので、分かりやすいかもしれない。

坑内の部屋には、作業に使われていた道具類、器具類が置かれたままになっている。壁にかけられた「ご苦労さん」の表示が、印象に残った。

 

計画的に造られた明治三大築港の1つ

熊本での仕事を終えて熊本県宇城市にある「三角西港(旧三角港)」に行ってみた。JRで熊本から三角へ。路線バスで三角駅から10分ほどで三角西港前へ。降りると、目の前に海が広がるが、どこと言って特徴がない港。三角駅にあったパンフレットと散策マップを見る。

三角西港は、明治政府内務省から派遣されたオランダ人技師ムルドルの設計で、山を削り、海を埋め立てて造られた港湾都市。明治政府三大築港(福井・三国港、宮城・野蒜築港)の1つとして、1887年(明治20年)に完成した。

散策マップにあった60分コースの見学場所を見ることにした。バスを降りたところにきれいな洋館がある。「浦島屋」というかつての旅館を復元したもの。小説家の小泉八雲が宿泊したことがある旅館だという。

浦島屋より海側の斜め向かいに「龍驤館」というこれも洋館。明治天皇即位50周年事業で1918年(大正7)に建てられたという。

海岸に沿って歩いていくと小さな川があり「三之橋」という石橋を渡る。この川が築港の際に造られた排水路。石積みで造られている。満潮時に海水を引き込み、排水溝に側溝から下水が流れ出て、干潮時に海に排水する下水道の役目を果たしているそうだ。

三池の石炭を海外に輸出した港

橋から海の方を見ると、左右に岸壁が石積みで曲線を描いている。これがムンドルが設計した「石積埠頭」と呼ばれている明治の仕事。100年以上たった今でも頑丈そうだ。

世界遺産になっている長崎の大浦天主堂やグラバー邸などを手掛けた天草の石工集団が、石材を丹念に組み上げ、曲線を多用した港(埠頭)になっている。

当時造られた石積埠頭は、全長756メートルに及ぶ。1893年から海外への石炭の輸出港で、1908年に三池港が完成するまでは三池炭鉱の石炭積出港だった。この埠頭で積み出しが行われたのだろう。今はのんびりと釣り糸を垂れる人が、埠頭の主役になっている。

廃れたから残った明治期の港湾施設

埠頭の周りには、当時の面影を残す建物が点在する。「旧三角海運倉庫」は1887年(明治20)に建てられ、荷揚げ倉庫として使用されていたという。今はレストランになっている。

旧三角海運倉庫

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