アンコール遺跡(カンボジア)

遺跡群を見るルートは

遺跡群というだけあって、シェムリアップとその近郊に遺跡が数多く点在している。
アンコール・ワット、アンコール・トムは別格として、そうした遺跡全部で世界遺産を構成している。
観光ルートでいうと大きく2つ、シェムリアップの中を回る「小回りルート」と、近郊を回る「大回りルート」がガイドブックにあったが、当時は交通網も道路も、遺跡自体の修復もまだまだ整備されていく途中で、行けないところが多かった。

今はかなり観光地として整備されていると聞く。行けるようになった遺跡も多くなっているはず。できれば、郊外も入れると3日ぐらいは欲しいところだ。

シャングルに飲み込まれた寺院

「小回りルート」の中で「タ・プローム」(Ta Prohm)は異彩を放っていた。
アンコール遺跡群はアンコール・ワットを除いて15世紀後半には放棄された後、19世紀半ばに再発見されるが、一部はジャングルに覆われていたという。
植物の種が石造の建物の隙間に入り込んで成長した。多くの寺院が樹木に「飲み込まれて」行く中で、特に樹木に押しつぶされた寺院として有名になったのがここだ。

間近でみると、遺跡を覆う木のスケールが分かるので、なおびっくりする。20メートルがゆうにある大木が、石造りの建物から何十本と生えている。
積んである石の隙間に根や枝が入り込み、崩してしまったようだ。地面には植物に壊されたであろう、バラバラになったかつては建物だった石が散乱している。

脂分を多く含んでいる木が多いそうで「スポーンといいます。たいまつにするといい」(ガイド)らしい。ここは元々12世紀から13世紀にかけて造られた僧院。植物の強さを再認識した。

イチ押しの遺跡はシェムリアップから20㌔ほどのところにある「バンテアイ・スレイ」(Banteay Srei)だ。

赤砂岩に刻まれた見事な彫刻たち

内戦の間、ポル・ポト派の拠点近くだったこともあって、1990年代初めぐらいまでは非常に危険だったという。
1999年当時、シェムリアップから向かう道はまだ修復できておらず、すさまじいデコボコ道。鮮やかな赤土の道には大きな穴が無数にあり、乗ったワゴン車は台風の海に漂う小船さながらの大揺れだった。
時速10㌔も出せないところが大半。こちらもつかまるのに必死で、身を固くしていたので、途中で「体伸ばし休憩」をいれて、3時間近くかけてやっと着いた。
いまは道が整備されているということなので、たぶんアンコール・ワットあたりから1時間もかからないで行けるだろう。

赤レンガ造りのような、こじんまりした遺跡に着く。アンコール・ワットやバイヨン寺院といった巨大建造物とは趣が違う。バンテアイ・スレイは「女の砦」という意味だという。

女性がこもっていたわけではなく、美しさ、優美さからついたという。アンコール遺跡では古く、10世紀にジャヤバルマン5世が建てたといわれる。

中央祠堂はじめ、建物は赤い砂岩でできており、高さも低く、高くても2階建程度。当時は境内を自由に散策できた。

レリーフの題材はヒンドゥー教寺院だっただけに、ヒンドゥーの神やインド叙事詩がメーンになっている。使っている石がそんなに軟らかいのかと思えるほどの彫りの深さ、精密さにうなる。

神殿が3つあり、その他にも小さな建物が密集している上に、壁面にはそんな見事なレリーフがびっしり。後からできたワットやトムもここの足元にも及ばない。

魅力的な女神はアンコールNO.1

特にアンコール遺跡のレリーフのヒロイン「ディバダー」は魅惑的だ。「東洋のモナリザ」とも呼ばれるそうで、かつてフランスの著名な作家がはがして持って帰ろうとして国外追放されたという。
確かに他とは違う雰囲気をもっている。アンコール遺跡の中では存在感はNO.1といっていいと思うので、お見逃しなく。

シェムリアップは、当時はまださびれた感じの田舎町。悲劇的だった内戦の激戦地だったということもあるかもしれない。未舗装の道路が多く、ちょっと街の外に出ると田園風景が広がり、道の両側にたくさんある池や沼にはハスの花が咲いている。ところどころにあるブッシュ地帯には「地雷注意」のマーク。なんともいえないコントラストだった。

当時、街の中心部付近はホテルの建設ラッシュだった。いまはかなりの数のりっぱなホテルが立ち並び、空港も整備されていることだろう。遺跡も修復が進んでいるだろう。あらためて行ってみたい場所だ。

1992年登録

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