スプリト歴史的建造物群(クロアチア)
かつては倉庫などに使われ、皇帝の居住スペースや使用人の住居は上層だったが、建物の構造自体は地下も上層も変わらなかったとみられ、地下層の発見で宮殿全体の構造を推測できたのだという。
明かり取りの窓などもあり、倉庫だけに無骨で石材や木材がむき出しになり、質素なつくりではあるが、その分古さを感じさせる。照明も落としてあり、観光としても雰囲気がでている。一角に、皇帝の胸像があった。
街の主人が入れ替わった
ここから地下道を通って「ペリスティル」というちょっとした広場のような中庭にでる。海側の面にはりっぱな門のような入口があり、皇帝の住居への入り口だったという。当時の宮殿で残っているのはこの一角だけなのだという。
左右には列柱が立ち並び、左手に「聖ドムニウス大聖堂」がある。残念ながら修復中で塀に囲まれており、全体を見られず、中にも入れなかった。黒大理石のスフィンクス像も鎮座しているという。
元々は皇帝の霊廟だったが、改築されてスプリトの守護聖人ドムニウスを祀っている。皇帝の行った迫害によって殉教した。ところが今や皇帝の遺体は行方不明。街の主が入れ替わった形だ。何事もやりすぎると反動はあるということなのだろう。
大聖堂にある鐘楼は13世紀ごろに建てられたという街のシンボルで、高さは60㍍。上れるそうなので、興味と時間、体力のある方はどうぞ。
こうした建造物は、一度宮殿が破壊されて廃墟になった後、8世紀ごろに住み着いた人たちが、宮殿の石材を使って宮殿跡の上に街を再建したものだという。
クロアチアはネクタイ発祥の地
商店も点々とある。クロアチアは、世界中の男性が普通に身につけているネクタイの発祥の地。中庭に面して店を構えているのが、1990年からクロアチア伝統のネクタイを販売している「クロアタ」という店だ。
同店のHPなどによると、ネクタイが世界に知られたのは17世紀、神聖ローマ帝国で起きた30年戦争のころという。
パリに入ったクロアチアの軽騎兵隊の兵士たちは首の周りに絹製や布製の美しいスカーフを巻いていた。妻や恋人が無事を祈って贈ったものだったという。「クロアチア兵」という意味のフランス語「クラヴァット」と呼ばれ、ルイ14世も興味を示してフランスの宮殿で流行し「ア・ラ・クロアタ」(クロアチア流)として身に着けられたという。
せっかく発祥の地に来たので、毎日ネクタイを締めていく仕事ではないけれど、2本買ってきた。
中庭を見た後、たぶん「銀の門」から出たのだと思う。城壁の外側にも、古い町並みが広がっている。
中世につくられた建物が多いが、まだ現役。城壁内も含めて3000人ほどが「歴史的建造物」を利用していると、ガイドは話した。
1978年から始まった世界遺産登録の初期に登録されている。足場を組んで修復している建物も目に付いた。大事に使っているのだろう。
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