ルンビニ(ネパール)

釈迦聖誕像(右)と、レプリカの絵葉書

 

裸足で芝生を歩いて見学

外に出て、聖堂を時計回りに回る。裸足で、芝生を歩いた。久しぶりの感触。芝生のところどころに、レンガの遺構が散らばっている。これも伝承によって発掘されたものらしい。

聖堂の裏手にはマーヤーが沐浴したというプスカリニ池(復元されたもの)がある。

ほとりには2本の大きな菩提樹がある。僧が何人も木の下に座っていて、一緒に写真をとると200ルピーのお布施をする。

仏教徒の巡礼地で、日本人は見なかったが、インドとスリランカからの参詣者が多数来ていた。ちなみに、ブッダの4大聖地は他に、ブッダガヤ(悟りの地)、サールナート(初説法の地)、クシナガル(入滅の地)でいずれもインドにある。

 

ブッダ生誕の地を証明する石柱

池を回りこむと、マーヤー聖堂の脇に「アショーカ王の石柱」が立っている。これは、仏教を篤く信仰していたインドのアショーカ王が紀元前249年に建立した。

石柱には古代の文字で「ブッダ生誕のこの地は税金を減免する」という意味のことが書いてあるという。磨かれているのか、2200年以上も前のものという感じはしなかったが「地中に埋もれていたのが19世紀終わりに発掘されたからでしょう」とガイド。埋まっていたため風化せず、文字もきれいに残ったようだ。読めないが。

西遊記のモデルとされる中国・唐代の僧、玄奘三蔵もこのルンビニを訪れ、著書「大唐西域記」にアショーカ王の石柱が落雷によって折れていたという記述があるという。

それに沿って発掘したところ石柱が出てきたということなので、ここはブッダ生誕の地に間違いないという確証になった。折れていたという感じではなかったが、もっと高かったのだろうか。

白い服を着たスリランカからの巡礼の人たちが手足を清めてから熱心に柱を眺めていたのが印象的だった。

平和の火の元に仏教寺院が集まる

この聖園地区を中心に、1985年から日本の建築家、丹下健三氏のマスタープランで、仏教の盛んな国の寺院が建設され、さらに聖地として開発されている。

聖園地区の出口(入口と同じ)で靴を履いていると、出入口の管理人のような人に手招きされた。プレハブのような建物に入ると、ルンビニ全体の設計図などが展示されていた。

池に囲まれた聖園地区を出ると、「平和の火」がたかれている広場に出る。そこからまっすぐ北に向かって川が流れ(行ったときは水はなかったが)両側に各国の寺院が建っている。

ネパールはもちろん、日本、中国、韓国、ミャンマー、スリランカ、インド、タイ、ベトナムなどアジア諸国のほか、ドイツ、フランス、オーストリアなど欧州の国もあった。今はもっと増えているかもしれないが、行った時は草むらの中にポツンポツンと建っており、道もあまり整備されていないので迷わないように。

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