
ファテープル・シークリー(インド)

皇帝の風呂
人間チェスの広場
池を回りこみながら反対側に向かう。池を造ったのも涼をとるためなのだろう。

水不足で都を放棄したといわれているが、貯水池跡や井戸、水路に風呂などが宮殿内をあるので、そんなに不足していたとは思えないのだが、やはり高台だったのが災いしたのだろうか。

「ここはメーキャップルームでした」という、宮殿の中でも彫刻がさらに細かい小さな建物が池のほとりにある。後宮の女性が身支度をした建物なのだろう。

内に入ると壁に棚のようなものがつけられている。「ここに化粧品を並べておきました」と説明された。今でもこんな棚は家庭で見かける。
外にあった案内板には「ターキッシュ・スルタン・ハウス」と書いてあった。名前と用途が結びつかなかったが、装飾がトルコふうなのだろうか。

池を過ぎると広い広場に出る。向こうに立っているのが「ディワニ・カース(Diwan-i-Khas)」という会議場。ムガール帝国の宮殿で見られる建物。その前に広場の真ん中に台のようなものがあって、碁盤のような線が彫られている。

ディワニ・カース
「ここはゲームをするところで、台の上に皇帝と王妃が立って、人間を駒にしてチェスをしていた」(ガイド)。日本にも人を駒にした「人間将棋」がある。同じような遊びをしていたようだ。

ディワニ・カースの中に入った。真ん中の柱の彫刻が見事。その上、2階が玉座だったという。

巨大な金庫は象が守る?
ディワニ・カースの横には小さな建物がいくつかある。一番手前の建物の入口を飾る彫刻が美しい。象の鼻をデザインしたものだという。

王室の金庫
「ここは金庫でした」という。ここにどれだけの財宝が詰められていたのだろうか。人の出入りが多い会議場の横とはけっこう大胆な気がする。象が守っているということなのだろうか。

宮殿地区の最後が「ディワニ・アーム(Diwan-i-Am)」。アーグラー城にもあった、一般謁見の建物。その前に広い庭があるので、一般民衆はここに集まって皇帝に会った。

ディワニ・アーム
最後と書いたが、本来はこちらが正面玄関だったのだろう。外に出ると、ここから丘を下って街につながる一本道が続いている。途中にはりっぱな門もある。

よく見ると、道の両側は崩れた建物の跡がびっしり。「このあたりに兵士や役人が住んでいた家があった」という。
そういえば、宮殿内にはそうした人たちの居住する場所がなかったので、城外に住んでいたのだろう。そうした家はほとんどが廃墟というか、ほとんどなくなっている。石材が持ち去られたのだろう。
小さな街1つ分の石材ぐらいはここで調達できただろう。大きな建物を壊す面倒を避けたので、きれいなまま残っているのかもしれない。
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