
エヴォラ歴史地区(ポルトガル)
セビリア(スペイン)~エヴォラ
500年近く前に、日本からやってきた天正遣欧少年使節一行が立ち寄った街がある。ポルトガルのエヴォラに2015年、行ってみた。
スペインのセビリアから高速道路でポルトガルに入る。これが国境、というところはなく、ゲートもないので、いつ国境を越えたかよくわからないのでは?「植えてある木を見るとどちらの国かわかります。オリーブならスペイン、コルクならポルトガル」とガイド。外皮がはがされているコルクの木(コルクガシ)の特徴を教えてくれたので、ツアーバスの車窓を眺めていたら、本当に植えてある木が変わった。特産物がはっきりしている。

ローマ時代から続く城壁に囲まれた古都
エヴォラはスペインと国境を接するアレンテージョ地方の中心都市で、ローマ時代から続いている。ローマ遺跡でよく見かける水道橋が見えてきたら、城壁でぐるっと囲まれたエヴォラの旧市街に着く。街には何か所か入る道がある。


ツアーバスを降りて歩いていく。街の中心にあるのが「ジラルド広場(Praca do Giraldo)」。正面に立派な教会がある。「聖アントニオ(アンタオ)教会」という。その前に、立派な噴水がある。「この噴水は、水道橋を通ってきた水が最初に湧き出たところでした」という。現在は上水道が引かれたので水道橋は使われていない。


ガイドの説明などから街の歴史を簡単に。紀元前200年ごろのローマ時代から交易路の要衝として栄えた。8世紀にイスラム教徒が侵入して国土を奪われたが、12世紀にスペイン同様に「レコンキスタ(国土回復運動)」が起こり、1165年に軍人「恐れしらずのジラルド(Geraldo Sem Pavor)」の活躍によってエヴォラの街は取り戻された。広場の名前になった人物だ。ポルトガルはその後、国力を伸ばして15~16世紀の大航海時代の主役になっていく。この街にはヴァスコ・ダ・ガマが滞在していたこともあったといい、銅像も立っていた。

広場から10月5日通り(Rua 5 de Outubro)というレストランや土産物店、ブティックなどが立ち並ぶメーンストリートに入る。ちなみに由来は1910年10月5日に当時の国王が亡命してポルトガルが共和国制になった記念日だという。
通りにある半円形の店構えの建物が目に付く。「街にはローマ時代の遺跡が残っていて、今の建物の土台にしたり、取り入れています。半円形なのは昔の水道橋の橋脚の名残でしょう」とガイド。確かに街のところどころに古そうな石積みなどが残っている。


保存状態のいいローマ神殿
10月5日通りの終点が世界遺産に登録されている歴史地区。広場のようになっている。小高い丘の上にあり、展望所になっていて、旧市街が一望できる。赤い瓦の家並み、すぐ近くにはローマ時代の水道橋が残されている。

「家は白と黄色に塗られています。白は暑さ対策、黄色は麦の色です」とガイド。確かに街中では公共施設や教会を含めて、家々の壁は天然石以外その2色に塗られていた。サルバドール旧修道院教会もその色合いだった。


サルバドール旧修道院教会
展望所から広場を見る。広場の真ん中に建つ神殿が目立っている。というより、ここは神殿のための広場なのだろう。「ディアナ神殿(Templo do Diana)」で、ローマ時代の2世紀に造られたものだという。

広場を囲む建物群の中で、展望所から左手には「カダヴァル(Cadaval)侯爵邸」がある。14世紀に造られた貴族の館で、王族も利用していた。火事のあった後の17世紀に改築されており、2種類の建物が合わさっているような形なのはそのためなのだろうか。邸の裏手に降りていくと、16世紀創立のエヴォラ大学がある。
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