オリンピア(ギリシャ)


競技は紀元前776年から紀元394年にローマ皇帝によって廃止されるまで、4年に1度、1200年ほど続いた。
競技には戦車競技など戦争にちなんだものが採用されていた。スタディオン(約192㍍)走、円盤投げ、やり投げ、幅跳びなど今の陸上競技に近いもの、レスリング、ボクシングなど格闘技で、男性はだれでも参加できて、競技は全裸で行ったという。
期間は5日間、出場者はポリスを代表しており、優勝者にはオリーブの枝で編んだ冠が与えられ、出身ポリスでは多くの尊敬を集めたという。


19世紀始めにフランス人によって遺跡の発掘が始まった。それを受けてなのだろうか、フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって1896年に第1回近代オリンピックとしてアテネで開催される。
古代オリンピックの精神にのっとって「平和の祭典」とされるが、2度の世界大戦では中止を余儀なくされており、古代ギリシャ人が持っていた精神を残念ながら持ち合わせていないのが、近代の戦争を始めた為政者たちだ。

「オリンピックタウン」の発祥

遺跡の戻ろう。ギムナシオンの隣にある闘技場パレストラにも列柱の跡がある。闘技場というからにはここでレスリングなどが行われていたのだろうか。その隣には小神殿の跡がいくつか点在する。

パレストラ(闘技場)

「フェイディアスの仕事場」という建物にでる。一部にはかつての建物の上に、初期キリスト教教会が建てられていたという。


フェイディアスは紀元前400年ごろの彫刻家で、紀元前2世紀にフィロンが記した巨大建造物の世界7不思議の1つ「オリンピアのゼウス像」の制作者とされる。ここで造られたのだろうか。


さらに先へ歩いていくと、広い場所に出る。「レオニデオン」という、競技者や観客らの宿泊所。今の選手村にあたるのだろう。


建物跡が広大な範囲で続いている。参加人数は分からないが、数百人規模はあったと思われる。中庭には池のようなものがあったようで、疲れをいやす空間だった。


その隣には「南の浴場跡」という遺跡。レオニデオンを挟んで反対側にも大きな浴場跡があった。確かにスポーツの後には風呂は必要だ。

ゼウスに捧げられた巨大神殿

近くに、大きな柱が1本立っているのが見える。そこが「ゼウス神殿」の跡。これもほぼ跡形もなく壊れている。前面6本、側面13本の柱が立っていたという巨大神殿だ。

紀元前456年に完成した。この地域はギリシャ神話の最高神ゼウス信仰の地だったといい、神殿ができる前は祭壇で祀っていたそうだ。オリンピックも、ゼウスに捧げるための競技会となり、優勝者は捧げものをしたという。

ここにフェイディアスがつくった高さ13㍍のゼウス像が祀ってあったとされる。ガイドによると「ローマ帝国が持ち去った」というが、どこにいったのだろうか。博物館に「想像図」があった。

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