オリンピア(ギリシャ)


19世紀始めにフランス人によって遺跡の発掘が始まった。それを受けてなのだろうか、フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱によって1896年に第1回近代オリンピックとしてアテネで開催される。
古代オリンピックの精神にのっとって「平和の祭典」とされるが、2度の世界大戦では中止を余儀なくされており、古代ギリシャ人が持っていた精神を残念ながら持ち合わせていないのが、近代の戦争を始めた為政者たちだ。

「オリンピックタウン」の発祥

遺跡の戻ろう。ギムナシオンの隣にある闘技場パレストラにも列柱の跡がある。闘技場というからにはここでレスリングなどが行われていたのだろうか。その隣には小神殿の跡がいくつか点在する。

パレストラ(闘技場)

「フェイディアスの仕事場」という建物にでる。一部にはかつての建物の上に、初期キリスト教教会が建てられていたという。


フェイディアスは紀元前400年ごろの彫刻家で、紀元前2世紀にフィロンが記した巨大建造物の世界7不思議の1つ「オリンピアのゼウス像」の制作者とされる。ここで造られたのだろうか。


さらに先へ歩いていくと、広い場所に出る。「レオニデオン」という、競技者や観客らの宿泊所。今の選手村にあたるのだろう。


建物跡が広大な範囲で続いている。参加人数は分からないが、数百人規模はあったと思われる。中庭には池のようなものがあったようで、疲れをいやす空間だった。


その隣には「南の浴場跡」という遺跡。レオニデオンを挟んで反対側にも大きな浴場跡があった。確かにスポーツの後には風呂は必要だ。

ゼウスに捧げられた巨大神殿

近くに、大きな柱が1本立っているのが見える。そこが「ゼウス神殿」の跡。これもほぼ跡形もなく壊れている。前面6本、側面13本の柱が立っていたという巨大神殿だ。

紀元前456年に完成した。この地域はギリシャ神話の最高神ゼウス信仰の地だったといい、神殿ができる前は祭壇で祀っていたそうだ。オリンピックも、ゼウスに捧げるための競技会となり、優勝者は捧げものをしたという。

ここにフェイディアスがつくった高さ13㍍のゼウス像が祀ってあったとされる。ガイドによると「ローマ帝国が持ち去った」というが、どこにいったのだろうか。博物館に「想像図」があった。

ゼウス神殿ゼウス像想像図

博物館には、神殿外側の上部壁面(破風)を飾っていた彫刻も復元されて展示されている。相当立派な神殿だったとわかる。東側の破風には、神話ではオリンピックの起源ともなったオイノマオス王とペプロス王の戦車競技の場面などが描かれていたという。

ゼウス神殿東側破風の彫刻。中央の首のない像はゼウス像とされる

西側の破風には「ケンタウロスとラピタイ族の争い」などがテーマで、中央にはオリンピックを始める神託をした「アポロン」が立っている。奇跡的に顔が完全に残された。

ゼウス神殿の横には「ニケの像」が立っていた基壇が残っている。ニケはギリシャ神話の「勝利の女神」。これを見て選手は奮い立ったのだろうか。


オリンピア博物館に基壇の上にあったとされるニケ像があるので見て帰ろう。残念ながら顔は残っていない。ちなみにニケの英語読みはナイキ。世界的なシューズメーカーの名前になっている。

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