石窟庵と仏国寺(韓国)
そういえば、下から見たときに「石塔修理」と書かれた建物が見えた。釈迦塔は三重石塔で、修理場になっている建物は一部透明のアクリル板になっていて中を覗けたので見てみると、解体修理が行われている様子だった。
翌日、慶州博物館に行った時に、釈迦塔のレプリカを見られた。解体修理を終えると、こういう姿になるようだ。
秀吉の朝鮮出兵で焼け落ちた寺
2つの塔の向こう側に、本殿に当たるのが「大雄殿(テウンジョン)」がある。1959年の再建だという。新しいものらしい。本尊は釈迦牟尼如来を祀っている。
仏国寺は751年、当時の新羅の大寺院として建立された。一時廃寺となっていた。1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵、壬申倭乱によって、当時60ほどあった建物はほとんど焼け落ちたという。この大雄殿も基壇と礎石部分しか残らなかった。その基壇の上に再建、火災などでの焼失、を何度か繰り返しているという。
大雄殿の裏手に回ると、いくつかの建物がある。「無説殿」は長い建物。仏国寺の中でも最初に立てられた建物だったという。僧が説法を行うところで、現在は講堂として使われている。
その裏に2つの建物が並んでいる。「毘廬殿」には毘廬舎那仏が安置されている。仏像は8世紀半ばのもので国宝というから、戦火を免れたのだろう。
「観音殿」には金色の観音様。これらの建物も秀吉の軍勢によって焼き討ちされた。仏像が無事だったのかは分からなかった。いずれも再建だが、柱や屋根にはきれいな装飾がしてあった。
帰り道、「極楽殿」という建物もある。これは先に見た蓮華橋、七寶橋を上って安養門から入るとお参りできるという堂だという。安置されている金銅阿弥陀如来坐像は8世紀半ばのもので国宝に指定されている。
「梵鐘閣」という、きれいな装飾がある釣り鐘堂の前を通って下っていくと、途中に「朱印帳」の文字が。韓国でも朱印がいただけるのかと、その建物に行ってみた。朱印帳は持っていなかったが、朱印はいただけた。
バス停に戻って「石窟庵(ソックラム)」行の専用シャトルバスを待つ。1時間1本しかないので、仏国寺を見に行く前に時刻を調べておいた方がいい。ハングルでしか書かれていないが、仏国寺のバス停の時刻表は、左が仏国寺、右が石窟庵になっている。
石のドームに鎮座する大石仏
シャトルバスで10分ほど、吐含山の頂上付近に石窟庵がある。ここでも帰りのバス時刻をチェックしておこう。
バス停からすぐ左前方に見えるのが「大鐘閣」。大きな釣り鐘がある。自由に撞いていいらしいのだが、横目に見て長い階段を上り、まずは石窟庵を目指す。
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