アグリジェント(イタリア)
シチリア島を代表する建造物なのだという。正面の柱は6本のドーリア式神殿。正面にも背面にも、三角形の破風が載せられている。風化してしまったのか、はぎとられたのか、かつては彫刻、彫像で飾られていた感じもする。
全体で34本の柱、梁の横柱も原型をとどめている。内部にある建物も残っている。紀元前5世紀に建てられ、元々は「カストルとボルックスの神殿」だったという。ふたご座の由来になったギリシャ神話の兄弟だ。
「調和と均整がとれた造りなのでコンコルディアといいます。四つ角の柱は少し内側に傾いていて、5㌔上空でぶつかるような設計」(ガイド)という。柱は4つの石を積み上げて造られている。
古代ローマ時代に、教会として転用され、長く大切に使われてきたため、保存状態がいい。ちょうど、夕日の時間帯。だんだん、赤く染まっていく。
「入口(正面)は東を向いていて、夕日が当たる西側(背面)は死の世界になっています」。夕日を受けた神殿を見る限り、死の世界はきれいなところなのだろう。
神殿の前の広場に、ブロンズ像が転がっている。「イカロスの像で、2011年に作った人が置いたのですが、風景にマッチするというのでそのままにしてあります」とガイド。確かに雰囲気は損なってはいないが、古いものではない。
破壊、持ち去りに遭った神殿は修復中
日没が迫ってきたので、心なしか早足になる。レンガの円筒状のものの下に階段状にある遺跡は「カタコンベ(墓)だった」という。道の反対側にも区画された墓地があった。
日没直前、「ヘラクレス神殿」にたどり着いた。アグリジェントでは最古の神殿で紀元前6世紀に造られたという。
「カルタゴによって破壊されました」とガイド。ギリシャ人がこの地に入植したのが紀元前6世紀ごろ。当時は「アクラガス」と呼ばれた。
紀元前5世紀末にカルタゴの攻撃を受けて籠城の末に陥落。そのカルタゴと古代ローマが戦い、紀元前3世紀にはローマの支配下になった。
地震などもあって全倒壊し、19世紀には「丘の下の街をつくるために石材が持ち運ばれてしまいました」とガイド。神殿の周りにはそれでも残ったがれきがたくさんあった。その中から柱の石を積み上げて、現在は8本の柱が修復された。
離れたところにある1本だけが「オリジナル」だという。足場が組まれていたので、修復中なのだろう。
ここまで来たところで日没を迎えた。すぐに周囲は真っ暗になった。神殿の谷には、見てきた3つの神殿を含めて10以上の神殿跡があるという。時期が違うのか、時間が違うのか、行った時はやっていなかったが、夜はライトアップもされるという。
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