デリーのクトゥブ・ミナールと建物群(インド)


鉄柱の記憶が鮮明なのは、たぶん宇宙人や超古代文明といった類の本で読んで、、現代でも作るのが難しい純度99%以上の鉄でできている、と知って驚いたからだ。それが錆びない理由だという。


これはオーパーツと呼ばれる。発見された場所や推定される年代にまったくそぐわない物で「out of place artifacts」を略して「OOPARTS(オーパーツ)」。縄文時代の遺跡から電球が出土したらおかしい、ということだ。


造られたのは4世紀ごろだという。そんな純度の鉄がその時代に造れるはずがないということでオーパーツの仲間に入っている。最初に立てられた場所はここではないかもしれないといわれる。
以前は触ることができたそうだが、今は囲いがされている。よく見ると、錆びも出ている。錆びないはずでは?
手が届かない上の方は錆びていなかったので、たぶん人がさんざん触ったためにいらない成分が付いて錆が出るようになり、立ち入れなくしたのだろうと解釈した。

崩れ落ちそうな未完の塔

最後に「アライ・ミナール」を見た。大きな円柱が建っているのだが、これはクトゥブ・ミナールの約2倍の大きさの塔を作ろうとして途中でやめたのだという。


14世紀初めの王アラー・ウッディーンが建設を始めたが、暗殺されたために約27㍍までいったところでとん挫した。ウッディーンは奴隷王朝を倒した王朝の2代目の王。前王朝より大きく「倍」にしようとした気持ちはわかる。
出来上がっていたら高さ150~200㍍になったのだろうか。今にも崩れそうな感じに見えた。

1993年登録

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