アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)


ピラミッド建設は、民衆のための公共事業だったという説が有力。こちらの両神殿は、ラムセス2世が富と権力を誇示するための建設とも言われているので、庶民には迷惑だった事業だったのかもしれない。

王朝を立ててしまった辺境の王

ヌビア地方というのは、先述した通り、ナイルの上流、今のエジプトとスーダンにまたがる地域のことで、いわば辺境の地だった。
「ヌビア」とは黄金の意味だという。金が採れた。となれば、だれかに狙われる。エジプト王朝は、ヌビア遠征と称して古王国時代の紀元前2600年ごろには既に支配下に置いた。
ただ、搾取されているだけではなく、エジプト王朝が不安定だった紀元前744年にはヌビア(クシュ王国)の王がエジプト全土を征服して第25王朝を立ててしまったというから、被征服者としては痛快だっただろう。
現在は、アスワン・ハイダムによって、かつてナイル川に沿って栄えた場所が水没してしまっている。

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