
明治日本の産業革命遺産群(日本) 軍艦島・三菱重工長崎造船所関連施設(長崎エリア)
長崎駅~長崎港~三菱重工造船所沖合~高島沖合~軍艦島
全国に散らばる明治の産業革命遺産群の中で「軍艦島」に興味をひかれた。行くのが難しいところだろと思っていたが、そうでもない。長崎から定期クルーズ船が出ている。上陸もさせてくれるというので2016年、行ってみた。
上陸できる日数は年間100日ほど
軍艦島にいく「軍艦島上陸クルーズ」を運航しているのは数社ある。その中の1つをネットで申し込んだ。インターネット割引で3300円、軍艦島施設利用料300円。
申込にあたって、誓約書があるのには少し驚いた。現地での行動の規定や、波の高さによっては上陸できないことなどが記載され、署名して現地で提出する。
JR長崎駅からぶらぶら歩いて15~20分ぐらいの長崎港から船に乗る。長崎港ターミナルビルの1階にクルーズ船各社のチケット売り場があり、そこで予約番号を告げ、誓約書を出して乗船券を受け取った。
軍艦島の模型なども展示されているので、見ておこう。そうそう、軍艦島のパンフレットが置いてあるので忘れずに持っていこう。

沖合は波が高いため、天候と安全基準を満たして上陸できるのは年間100日ぐらいというから、上陸できる方が少ないようだ。
出港してすぐ右手に三菱重工長崎造船所が見えてくる。大きなクレーンがすぐに目に付く。軍艦島同様に世界遺産に登録された「ジャイアント・カンチレバークレーン」。

1909年(明治42)にできたものだが、1世紀以上現役で稼働している。高さ60㍍を超え、150㌧の吊り上げ能力があるという。

造船所関連施設で「旧木型場」「占勝閣」「第三船渠(ドック)」「小菅修船場跡」が世界遺産登録されているが、資料館になっている旧木型場以外は非公開になっている。第三船渠は、入口だけがクルーズ船から見えた。

天気曇天ナレドモ波高シ
沖に出ると、曇天で穏やかな日とはいえ、外海らしく波が高い。船のデッキ席にいたが、時折波しぶきが飛んでくる。ほどなく「高島」が見えてくる。この島も軍艦島同様、炭鉱の島だ。
高島にも立ち寄るクルーズもあるが、今回は時間の関係で軍艦島だけのクルーズにした。
1868年(明治元年)に佐賀藩とグラバー商会の共同経営で開坑された。西洋の最新技術と機械が導入され、日本最初の蒸気機関による海底炭田開発だったという。
こちらは比較的大きな島で、軍艦島のように洋上に浮かぶという感じではない。その時に掘られた竪坑の「北渓井(ほっけいせい)坑」が世界遺産に登録されており、1876年(明治8)に廃坑になっている。

小さな中ノ島の横を過ぎると、その先に見えてくるのが通称「軍艦島」の端島だ。さすがに年3分1ぐらいしか上陸できないだけあって、島周辺の波は高い。上陸できるか、船の人たちも近づく桟橋をじっと見ている。桟橋に着きさえすれば上陸できる。

中ノ島(右)の先に軍艦島
長崎港を出て30分強、船は躊躇なく、島に近づいていくので大丈夫だろうと安心した。軍艦島の横を通ると、島にある建物が大きく見えてくる。映像や写真では見てきたが、立派な街がそこにあったようだ。

無事に、軍艦島のドルフィン桟橋に着岸。運がよかったといえるのだろう。

埋め立てて造られた軍艦の姿
パンフレットから軍艦島について簡単な予習を。元々南北約320㍍、東西約120㍍の岩礁島だった端島は、江戸時代に漁師が石炭を見つけたそうで、1869年(明治2)に本格的な採炭が始まり、1886年(明治18)に第一竪坑が完成した。
1890年(明治22)に三菱合資会社の所有となり、本格的な海底炭田の開発が行われるとともに、端島の周囲が埋め立てられ、南北480㍍、東西160㍍の細長い半人工島になった。
その形が、当時最新鋭の戦艦だった「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったという。上陸見学後、島を一周した際に洋上から「ここから見ると土佐に似ています」というところから見ると、「土佐」は知らないが確かに軍艦だと思う。
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