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明治日本の産業革命遺産群(日本) 軍艦島・三菱重工長崎造船所関連施設(長崎エリア)

30号アパート

隣の海に面した「31号アパート」とともに、窓ガラスなどはなくなっているが、しっかりした骨組みだけが残っている。海側のアパートは防風の役割もあって、島の形に合わせて曲がっている。海側は廊下だったという。

31号アパート

こうしたアパートには、緑がない島で花や野菜を育てる「屋上庭園」がつくられていたそう。これも日本で初めての試みだったという。
飲み水は当初は海水を蒸留しており、のちに給水船で運んで高台の貯水槽にためていたが、1957年(昭和32)には対岸の長崎半島の三和町から日本で初めて海底送水管を敷設した。
この島には「日本初」というのがたくさんある。
広場の海側には「プール跡」があり「海水のプールでした」(ガイド)という。島の反対側、小中学校にはグラウンドのほかテニスコートもあって、スポーツも楽しめたようだ。

海水を使ったプール跡

「島で働く人の給料は、公務員の2倍。昭和30年代初めで冷蔵庫やテレビは100%あった」(ガイド)と、暮らしも最先端をいっていた。
帰路に就く。クルーズ船は島を一周した。

立ち入れなかったところは、建物が密集していて危険だということは、洋上から見ればわかる。

廃墟となった軍艦島。登録の際にも日韓で物議も醸したが、これだけの巨大施設を造って、使ってきた人間の力を感じる施設でもある。3時間弱のクルーズだった。


2015年登録

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