
アジャンターの石窟群(インド)
幻想的な天井の曼陀羅
第2窟に入った。ここも、もちろん暗い。この窟では「仏陀が生まれてからの物語が描かれています」と、壁画がびっしりとある。
せっかくの壁画だが、暗くて細部までよく見えないのが残念なところ。ガイドが懐中電灯で照らして説明をしてくれるのだが、消してほんのりとした明かりになるとよく見えなくなる。
壁画では、釈迦が出家することを家族に相談したり、仏陀となって天界で暮らしたりなど、生まれてから悟りを開いて仏陀になるまでが描かれているらしい。

天井画では人々の生活なども描かれ、青い靴下をはいてワインを飲む人などの絵もあった。当時からワインが飲まれていたらしい。

ひときわ目を引くのが正面にある仏陀像。手前の天井には曼荼羅が彫られている。薄明りの中に浮き上がる曼荼羅と仏陀が幻想的でもある。
第1窟に比べて、壁や柱に彫られた石像や模様が多い感じがする。本尊は左手がなくなっている。「宝石がついていたので、手ごと盗まれたようです」とガイドが肩をすくめた。

鬼子母神の像などもあるが、壁画とどうつながっているのかよくわからなかった。柱の彫刻も見事なので、ともにいろいろな石像にも目を向けたい。

1500年以上経っても色鮮やか(暗いのでよくわからないがたぶん)に残る壁画。「水が入って傷んだところも多い」(ガイド)というが「壁画の石窟寺院」と言われるだけのことはある。

暗い中でどうやって壁画を描いたか
石窟自体も岩を掘り進んで仏像や石像、柱などを彫り残し、部屋をつくるという作業を、重機がない時代、ノミなどを使って手で行っていた。その壁に石膏や石灰を塗ってなめらかにし、絵を描いていったという。

なにより、こんな暗いところで正確に、間違えずに描くこと自体が驚異的。明かりには、ランプ、鏡や水の反射などいろいろな説があるそうだが、それでもこうこうと照らすのは難しい話。配色や細かな線などをどう描いたのか、何より描かれた絵をどうやって見たのか、不思議に思った。

見事さに忘れてしまいがちだが、先述した通り、ここは石窟寺院。岩を削り、部屋をつくり、柱や仏像、石像は後から付けたり置いたりしたのではなく、その場所に掘り進みながらつくっている。設計図みたいなものはどうしたのだろうか。
礼拝堂は入口から豪華
第3窟からは未完成の石窟が続くので、建設過程を垣間見られる。壁や天井がノミで削ったような跡が残っている。これをなめらかにしてから絵を描く予定だったのだろう。

アジャンターの石窟には大きく2つの様式がある。1つはヴィハーラ(僧院)、もう1つはチャイティヤ(礼拝堂)。壁画が見事だった第1、2窟はヴィハーラで、石窟群にはチャイティヤは5つあるという。
第9窟は第10窟とともに紀元前1世紀から2世紀にかけてつくられた前期のもので、最古のチャイティヤだという。
ヴィハーラは入り口が簡素でただ入るためだけの小さいものだったが、チャイティヤとなると違うらしい。入り口の岩壁には装飾で施され、窓もついている。窓の周りなどを飾る馬蹄形の彫刻は「菩提樹の葉の形」(ガイド)なのだそうだ。
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第9窟の中は、窓があるだけにヴィハーラのような暗さはない。奥行きがあり、部屋の両側には柱が並んでいる。もちろん、削り出されたもの。一番奥には「ストゥーパ」と呼ばれる仏塔がある。

ストゥーパは元々仏舎利を収めた円い塚で、卒塔婆の語源でもある。前期なので小乗仏教(上座部仏教)の時代。仏像ではなく、ストゥーパが礼拝の対象だった。「水で流されてあまり残っていない」(ガイド)という壁画も一部は見られた。

隣の第10窟もチャイティヤ。こちらの方が規模は大きい。アジャンターは8世紀には放棄されて忘れられていた。1819年、東インド会社のジョン・スミスという英国人が虎狩りにきて偶然この谷に足を踏み入れ、最初に見たのがこの第10窟だったという。
その時に目に入ったのが、第10窟の入り口にある装飾だった。1000年以上忘れ去られていたことになる。
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