ペトラ(ヨルダン)
ローマ劇場、王家の墓の前を過ぎて、右手の丘を登った。中腹にある「ビザンチン教会跡」にはモザイク画が描かれた床の一部が残っている。
先には「翼を持ったライオンの神殿跡」がある。こちらは大地震の影響だろうか、ほぼ倒壊しており、壁と柱の一部が残っているだけ。柱にライオンが描かれていたのでそう名付けられたという。
そこから見下ろすと、メーンストリートや神殿が見える。丘を下りてメーンストリートに入る。エル・ハズネから来るのとは逆に見ていくことになるが、まずは「カスル・アル・ビント」「ファラオの娘の宮殿」という建物。壁は残っているがファサードは崩れている。宮殿ではなくドゥシャラ神の神殿跡だという。
通りの真ん中には「凱旋門」。これも原型をとどめていないが、イタリアのローマに残っているさまざまな凱旋門とはちょっと形が違う。材質も大理石ではない。この地方の砂岩を使って造られたから、印象が違うのだろうか。
右手(エル・ハズネから来たら左手)には「大神殿」。広さはわかるが、柱の一部が立っているだけで、神殿という感じはしない。先ほどの丘の上から見ても、広場か、競技場のようだ。
メーンストリートにはたぶん両側に柱が立っていたのだろう。「列柱通り」と呼ばれているところが、かつての通りの賑わいを想像させる。道の傍らには崩れた柱の残骸が残っていた。エル・ハズネから来ると、このあたりがメーンストリートの入口になる。
エド・ディルへの険しい道
メーンストリートを引き返してペトラ渓谷を先に進むと、レストランやトイレなどがある一角に出る。ここで昼食。周りの岩山にはやはり墓らしきファサードや穴がたくさんある。墓に囲まれての食事だ。ここから、最後の難関に向かうので、しっかり腹ごしらえをしておこう。
多くのツアーでは「希望者のみ」となっているのが、ペトラ峡谷の奥にある「エド・ディル(Ed Deir、修道院)」。谷の断崖に造られた800段とも900段ともいわれる石段を上る。
「1時間ほどですから、行きましょう」とガイドは軽く言う。結論から言うと、きついことは確かだが、見れば疲れは吹っ飛ぶ。
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