ペトラ(ヨルダン)

ファサードの道の一帯

道を挟んで反対側、前方の岩山にひときわ大きな墳墓群が固まって見える。「王家の墓」と言われているエリア。また墓だ。たくさんあるようだが、大きなものでいうと、右から「アーンの墓」「シルクの墓」「コリンシアンの墓」「宮殿の墓」と名付けられている。

岩山を削って造られた王家の墓全景

「アーンの墓」はローマ以前の1世紀にここを収めていたマリコス2世の墓。アーンは骨壺という意味だという。2段のアーチの建造物の上に、4本の円柱を持つファサードがある。王家の墓に上って中に入ることもできるらしいが、時間の関係もあっていかなかった。時間と体力がある人は寄ってみては。

アーンの墓

その隣、ファサードの砂岩の縞模様がきれいなのが「シルクの墓」。赤、青、白、黄色など色とりどりの砂岩が縞状に積み重なり、絹織物のような柔らかな色合いから名付けられたという。

縞模様がきれいなシルクの墓

「コリンシアンの墓」はファサードの感じがエル・ハズネに似ている。エル・ハズネを横に伸ばしたような感じだ。ペトラ自体がギリシャ文明の影響も受けていたという。柱の形状が古代ギリシャで使われたコリント式に似ているということから名前が付けられた。

一番左にさらに巨大なファサードを持つ「宮殿の墓」。確かに宮殿のように削り出されている。下部には4つの大きな入口があり、上部は柱が並んでいる。その上にも何か削り出されていたのだろうが、だいぶ崩れてはいる。何人分の墓なのだろうか。

宮殿の墓

ペトラにはこうした岩窟墓が大小500ほど見つかっているという。大地震で神殿や住居などはほとんど倒壊したが、墓は頑丈だったらしい。「遺跡全体としてはまだ80%が見つかっていないとされています」というから、いくつあるか分からない。
家は?と聞くとガイドは「あのへんです」と洞穴のような穴がたくさん開いている場所を指さした。家の形はなくなっている。

ローマ併合時代の痕跡

いまのところ、エル・ハズネ以外は墓しか見ていない気がする。エル・ハズネも墓かもしれないのだが、このあたりからローマに併合された時代の遺跡が点在してくる。左手に「ローマ劇場」。約3000人収容の大きなもの。岩から削り出されているようだ。隊商を楽しませたのだろうか。

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