万里の長城(中国)

そのあたりでは十分高いところだった。遠くの山々を見ると「あんなところまで」と思えるほど、城壁が山の尾根伝いに延々とつながっている。汗をふきながら眺めた。風が心地いい。

膨大な労力と犠牲で築いた

この城壁、秦の始皇帝が築いたと言われているが、当時は馬で越えられない程度の土塁のようなものだったそうだ。
現在のようにがっちりとした城壁になったのは、明の時代だという。前王朝のモンゴル民族が建てた元のような、異民族の時代に逆戻りしないように改築された。
延々と土を盛り、レンガや石を積み上げて築いた。八達嶺という一部を見るだけでも、万里の長城のすごさと、漢民族の異民族への恐怖心も感じ取れる。
しかし、次の王朝の清は北方民族でもあり、万里の長城を破って侵入した。そのころから長城も不要になっていった。

どこかの大統領が国境に壁を造って不法移民を阻止しようとしているが、派手なパフォーマンスだけで防げるとはあまり思えない。ベルリンの壁も壊されるときはあっけなかった。
現在の長城は、取り壊されたり、材料を転用されたりして、かなりなくなってしまっているという。

世界遺産に登録されているのは長城すべてではなく、この八達嶺周辺と、最も東にある山海関、最も西にある嘉峪関の一帯になっている。
帰りがけ、近くにある居庸関長城を車窓からながめた。男坂にも増して急傾斜に見えた。足場のよくない山の尾根が主の建設作業だったと思われるので、その労力や費用たるや膨大で、多くの犠牲があったことは想像に難くない。

1987年登録

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