グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン(スペイン)

アラベスク文様で飾られた宮殿内

メスアールの間を抜けると「黄金の間」。ここはもともとは金色に装飾されていなかったが、カトリック両王の金色の紋章をつけたのが由来になっているという。

宮殿内全てに共通しているのは、壁、柱、天井の装飾。アラベスク文様というイスラム美術の幾何学模様を施した漆喰や寄木細工、装飾タイルでびっしりと埋められている。

色はなくなっているところもあるが、模様はしっかりと残っている。「寄木細工は19世紀にスペインの宣教師によって日本の箱根に伝えられた」とガイドは話していたが、はたして?

漆喰は木の型で模様を取るため「壊れてもすぐに作り直せた」と、装飾性だけではなく実用性もあったらしい。木型は確かカルロス5世宮殿の博物館にあったと記憶している

砂漠の民と水の関係

続いて、宮殿の中心部「コマレス宮」になる。「アラヤネスのパティオ(中庭)」という、長方形の池が目に飛び込んでくる。

やっぱり晴れた日に行ったほうがより美しい光景になるようだ。鏡のような水面にはコマレスの塔が映っている。風で水面にさざ波がたつと「映る塔が揺らめいて、砂漠の蜃気楼のように見える」(ガイド)と、演出効果もある。

宮殿を築いたイスラム教徒は北アフリカからわたってきた。砂漠の民にとってはオアシスという楽園を、グラナダにつくったということらしい。

宮殿内に砂漠の星空を再現

コマレスの塔に入る。「大使の間」という、一段と装飾がきれいな部屋で、天井には星空のような模様が施されている。これも、砂漠の澄んだ空気の中の星空のイメージなのだろう。

この宮殿は、グラナダ王国が建設された1238年以降、初代王のアル・アフマールから7代王ユースフ1世の時代まで約100年をかけて、イスラム芸術の粋を集めてつくられた。

その中でもこの「大使の間」は来賓を迎える場所としてしつらえられただけに、客を驚かせるには十分なつくりだっただろう。

コマレス宮を過ぎると「ライオン宮」に入る。北アフリカの砂漠の民にとって、ライオンは強さの象徴だったのか、中庭には「ライオンの噴水」がデンと置かれている。

12頭のライオンは1頭で1時間を表しているといい、水時計の役割を果たしていた。ライオン像は白い大理石の粉を固めてつくっている。

イスラムでは偶像が禁じられているはずでは?「キリスト教徒につくらせて、あとで殺害したと言われています」(ガイド)という。

中庭をぐるっと100本以上の柱が立てられているが、これは森を表しているそうだ。これも砂漠の民にとっては憧れの空間になるのだろう。

鍾乳洞をイメージした装飾

ライオンの中庭の周囲にはいくつかの部屋がある。このあたりはハーレムだったという。

その中で「鍾乳石飾り(モカラベ)」という独特の天井飾りを施している部屋がある。

「モカラベの間」「二姉妹の間」で、数千個のピースを組み合わせて、鍾乳石が天井から下がっている様子を表している。窓からの光の効果もあって、幻想的な雰囲気だ。

 

アルハンブラ宮殿は、カトリック両王がその壮麗さを後世に残したが、ナポレオンとの戦争などもあって一時は荒れ果てた。

一時は荒廃した宮殿を取り戻すきっかけは

まだ読んだことはないが、19世紀に米国人作家のワシントン・アーヴィングが著した「アルハンブラ物語」で脚光を取り戻したという。そのアーヴィングが滞在した部屋などもこのライオン宮にある。

カトリックとして利用する最小限の改装だけで、生き残ったイスラム建築。最後に行ったのが「リンダラハのバルコニー」。ここから、11世紀につくられたグラナダ最古の街並み、アルバイシンを見渡せる。

カトリック両王がコルドバからグラナダに侵攻する際に、間道を案内したのがロマ族。その功績に対し、両王はロマ族にアルバイシンに通じるサクラモンテの丘に定住する権利と税金の免除を約束したという。

1984年登録

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