歴史的村落・河回と良洞(韓国) 良洞村

観稼亭

成宗の時代に大臣を務めた孫仲暾(ソン・ジュンドン)が暮らした家。16世紀にできた。門の屋根は下に落ちないかと思うほど大きくりっぱだ。

母屋は四角い柱、祠堂と縁側は丸い柱になっているのは、あずま屋という建て方なのだという。あずま屋(東屋)というと、日本では公園や庭園に行くと休憩をとれるような簡素な建物という印象が強いが、韓国では違うらしい。

ここから引き返して、香壇の前を通って反対側へ行く。パンフレットに書いてある道には太い、細いがあるのだが、実際に歩くと違いがよく分からない。「無忝堂(ムチョムダン)」を目指した。ちょっと迷いながら20分ほどで着いた。

無忝堂

香檀で出て来た李彦廸の宗家別堂とパンフレットに説明があった。

1460年にできて、父の李蕃(イ・ボン)が晩年を送った場所という。舞台のような建物が印象的だ。書斎と居室になっていたという。

 

今も多くの人が伝統家屋で暮らす村

4つ目、一番遠い「書百堂(ソベッタン)」を目指した。道しるべもあるのだが、ハングルなのでよく分からなかったので、文字の形をみて進んだ。無忝堂から15分ほどで着く。

書百堂

月城孫氏の孫昭(ソン・ソ)という人が1454年に建てた。門屋が一の字形、母屋がロの字形で初期の両班屋敷の構造をしているという。白い天井を丸太で支えているデザインが美しい。

息子孫仲暾、東方五賢の1人と称えられていた李彦廸と、月城孫氏の中でも名士を輩出した家。風水で見た人によると、雪蒼山の地気がこの家に集まっているといい、今も3人目の名士の登場を待っているという。

ここから入口方向に戻りながら、伝統家屋の一部を見ながらぶらぶらと歩いた。瓦屋根は両班、藁ぶきは庶民の家だという。家の門、玄関には普通に表札がかかっている。今も暮らしているのだろう。

「沙湖堂古宅(サノダンゴタック)」が途中にあった。説明板によると、1840年ごろに建てられたそうで、敷地内の建物はこの村にある伝統的なロ型の配置ではなく、日本でいう曲がり屋のようなГ形の配置なのだという。

沙湖堂古宅

少し早めに入口付近に着いたが、バスまでの時間があるので、案内所に近いところの伝統家屋を見て回った。

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